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「なぜ学校に行けなくなるのか」 『子どもが問題行動を起こす前に読む本』八ッ塚実 PHP 1994年より [読書記録 教育]

今回は8月1日昨日に引き続き
八ッ塚実さん『子どもが問題行動を起こす前に読む本』の4回目
「なぜ学校に行けなくなるのか」を紹介します

八ッ塚実さん わたしが目指す教師です
ラジオ深夜便「こころの時代」の話に感動し 本を読み始めると…
八ッ塚さんの実践のすばらしさに気付き
教師としての姿勢に改めて自分を反省します

今回は「不登校」について
学校に行きたいのに行けない
大変につらいことです
八ッ塚さんの言葉に納得します



昨日は 講談師・田辺一邑さんの「いちゆうのヒト in 浜松 vol 4」
を聴きに行きました
講談はいいなあと改めて思いました
時間があっという間に過ぎてしまいました






☆「なぜ学校に行けなくなるのか」 『子どもが問題行動を起こす前に読む本』八ッ塚実 PHP 1994年より

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◇なぜ学校に行けなくなるのか

○不登校の原因は何か
 新聞の投書欄で、やさしい文章に出全った。全国の先生たちが、不登校にあれこれ
と気を使っていらっしやるのだ。

 その内容は、次のようなものだった。

 投稿者は小学校の先生。その学校では、不登校の児童に、「来なさい」ではなくて
「待っているよ」といおうと、先生たちが申しあわせをしているというのだ。

 すばらしいことだと思う。とかく強制的になったり、指示的になりがちな点を戒め
るためだろう。

 不登校の原因は単純ではない。それと格闘しながら、大変な日々を過ごしているこ
とが伝わってくる投書だった。


 私も青年教師の頃、不登校の子をつくった。それは、明らかに私が原因であった。
教師が不登校の原因をつくる。私かこの仕事に入って、はじめてつきつけられた告発
だった。
 私はこの話をNHK教育テレビのある番組で語ったので、耳にされた方があるかも
しれない。

 教師になって数年目のこと、学校にも慣れ、段取りもわかり、幾分のコツまで身に
つけた頃の私は、キビキビ、テキパキ指導することに酔っていた。
 一年生の担任になった年、最初のホームルームは、まさに。「キビテキ」で貫いた。
コマネズミのように、子どもたちは私の指示どおりに動く。
 「どうです、すごいでしょう」
 内心得意の私は、一人ひとりの顔までは目に入っていなかった。すごい先生の担任
クラスになれたと、親も子も喜んでいると思っていた。

 翌日、一人の子が休んだ。入学早々だというのに、気分がすぐれないという電話。
それから約一週間。その子は連続して学校へこない。私は重い腰を上げて、その子の
家を訪ねた。
 その子は病気ではなかった。家の人の話によると、休む理由はただ一つ。
「担任の先生がこわい!」。
 入学式の日は、ほんとうに嬉々として登校したというのに。

 説得する。勇気づける。言葉のかぎりをつくす。しかし、どうしてもその男の子は
こない。

 五月一日。転入生か何人もあって、クラスの数が一つ増えることになった。担任し
たクラスは幻のクラスとなって1か月で消えた。その子は、私のクラスではなくなっ
た。すばらしく人の心を大切にできる先生のクラスになった。
 新担任のもと、毎日嬉々として登校するようになった。その時の敗北感は今でも忘
れない。三十数年たっても、鮮烈に覚えている。

 そして、二つの教訓となって、その後の私の教師生活を支え続けた。

 ・不登校は、はじめの三日が勝負
 ・不登校は、教師がつくる。教室がつくる

 その後も、私は毎年クラス担任を続けた。二度と不登校の子をつくってはいけない。
急に猫なで声や揉み手、すり手にしたのではない。大筋は変えないが、人間関係には
徹底的にこだわるようになった。

 ・絆(人間関係)なきところ教育なし

 信じられてもいないのに、何の教育活動か。嫌われているのに、なんで教師か。
 不登校といえども、はしめからこない子はいない。夢を抱いてきていた日々もあっ
た。「ある日」からこなくなった。この事実は重い。

 ・「ある日」をつくった原因は何か
 ・即、その原因を取り除く(三日が勝負)

 何日も休むと、原因に加えて別の要素が加わる。わけあって休んだはずの者が、そ
う簡単に復帰はできない。

 ・子どものメンツがある
 ・級友の目がある

 よけいにこられなくなるのだ。半月も休んでしまうと状況は一変する。そのことが
新たな原因となって、学校へきにくくなってしまうのだ。



○親の責任・教師の責任
 「床ずれをつくることは、介護者の恥だ」と、看護、介護の世界の人たちがよくい
われる。職業意識の尊さに頭がさがる。
 ということになれば、教師は?
 「不登校をつくるのは、教師の恥だ」
 「いじめを起こさせるのは教師の恥だ」
 こう思わなくてはならないし、それは鉄則なのだ。
 「来なさい」を「待っているよ」に変えたら、即、嬉々としてやってくるか? 

 おそらくそんなに簡単には解決しないだろう。それで解決するなら、不登校の問題
がこれほど教育界をゆるがすわけがない。問題は単純ではないのだ。

 私だって、先にあげた少年に、何度「待っているよ」といったか。一度や二度では
ない。いい続けた。だが、私のもとへはついにこなかった。三十数年前、すでに証明
ずみなのだ。

 大切なのは、「どこに目を向けるか!」ということ。

 ・現象(不登校)の事実に目を向ける
 ・原因に目を向ける

 現象の背後には、必ず原因かある。原因がその子を不登校(現象・結果)にしてい
るのだ。原因を納得のうえで取り除かない限り、不登校の子が再び学校へくることは
ない。
 教師の体質は、常に状況の改善にのみに目が向く。「待っているよ」も、教師が不
登校の事実の解消に目が向いている限り、ダメなのだ。原因を取り除くためには、教
師が常に「原因主義」の立場に立っていなくてはならない。

 今日までの日々が、明日のその子をつくる。その日々の中心に、教師がいる。不登
校が集中的に現われるクラスがある。不登校が起こらないクラスがある。

 勤務評定をする気はないが、動かせない事実なのだ。テキパキしか自分の指導力に
過大な自信を持った先生は、その原因が自分であることに気づかない。
 子どもが弱い。親が悪い。堂々の論陣でそういい切る人は多い。

 ・家庭の責任
 ・学校の責任
 ・社会の責任

 三者三様に責任はある。私はここで、「学校・担任のみに責任がある」というつも
りはない。もちろん家庭にも責任はある。あるばかりか、一番大きい。子どものこ
とで最大の責任者は親だ。それこそ、親の教育権だ。
 だが、家庭での営みは私生活。私的責任の範囲に属する。

 ・私的責任
 ・公的責任

 私が、不登校は自分の責任だと明言するのは、私が公的責任を帯びて仕事をしてい
たからだ。公的責任はその責任を問われる。当然のことだ。私的責任は、話しあい、
改善の勧告は行なえるにしても、公的に責任は問えない。

 どんなに若い日の私が、鬼の教師であっても、不登校になったのはクラスで一人。
あとの子は、毎日やってきた。
 そこで「だからその子が弱いんだ。適応の力が足りないのだ」といえるか。
 「そんな子もいる」
 「そんな育てられ方をした子もいる」
 それを承知でやるのが、公的責任を果たすということなのだ。
 「私の仕事がやりやすい子にしか教えない」といえるか。
 「どんな子がいるかわからない。だから教育なのだ」。こう考えなくてはならない
のだ。

 原因に着目してみよう。

 ・その子に固有な原因-親・家族の養育姿勢。その子の個性
 ・学校・学級の原因-担任・教科担任・級友のあり方

 原因は変えられる。よい原因は育て、悪い原因は改善する。これは何も不登校の解
決策ではなく、人間の生きる姿勢そのものなのだ。

 不登校は、学校へこさせさえすればいいのではない。ひとたび、学校へこられない
原因となったことを放置したままでは、事が解決したことにはならない。
 私たちは、「来たい」学校・学級をつくる使命がある。さらに、「来たくない」のな
ら「来たい」にする義務がある。



○人間関係のあるところ「不登校」なし
 先に私は、家庭教育は私的な営みだから責任は問えないと書いた。だが、したい放
題、どんな無配慮も許されるかというとそうではない。
 公的機関のまな板の上には乗らないが、教師と親との話しあいのには出くてはなら
ない。
一番責任を感してほしい。

 ・責任を公的に問われないからといって、責任がないのではない
 ・公的に学校だけが矢面に立つ現実を見て、自分はいっぱしだと錯覚してもらって
  は困る

 わが子を愛するなら、責任を果たしてほしい。私的責任なるがゆえに、重い責任を
感じてほしい。
 親たちが責任を問われなくても、責任を感じて真剣になれば、日本の教育は激変す
るはずだ。

 子どもの前で平気で教師批判をする親が、わが子からシッペ返しを受けることが多
い。それはなぜか。それは私的責任の解釈のあいまいさが、子どもをダメにするから
だ。

 ・教師と子どもの信頼関係を切断する
 ・自己責任の無自覚から、子どもを無頼の徒にした傲慢な態度を育てる
 ・百歩ゆずって学校に問題があっても、それだけで、その親の家庭教育行為がすぐ
  れていることの保証にはならない
 ・責任を白覚しない親の教育が、よかろうはずがない

 「人はみなちがう。一人として同じ人間はいない」という事実は、かなり定着して
理解されるようになったが、学校現場こそ、この考えを基底にすえなくてはならない。

 ある日、強い風が吹いたとする。びくともしない子は、薄着でも平気かもしれない。
しかし、風邪をひく子が出るかもしれない。まれに、肺炎にまでなる子がいるとした
らどうしよう。

 ・体質、体力
 ・感受性、心の強さ

 みんなちがうのだ。親が子どもに対して、課題としてもらいたいことは、ただ一つ。
許容限界の大きな子に育ててばしいということである。

 ・すぐに、ぶっつぶれる(許容範囲がせまい)
 ・少々ではへこたれない(許容範囲が大きい)

 課題にしたからといって、容易にそうなるとは阻らない。だが、課題にしているの
と、そんなことが全く念頭にないのとでは、子育ての質がおのずとちかう。

 よい子育てとは、最適の生活を用意することだと錯覚している親がいる。美食・学
習環境・金銭など、ぬくぬくとさせることは、必ずしもよい子育てとはいえない。生
活適応限界のせまい子になる。

 生活には、時として困ったこと、つらいことも起こるわな。そうなったら、そうな
ったで、突き抜けていこうやないか!

 この姿勢こそ大切なのだ。風が吹いたくらいで、いちいち風邪をひいていてはたま
らない。
 自己批判のない教育常識と大人の幼稚性のために、子どもを犠牲にしたくない。

 ・何でも食べられる子
 ・傷つきから立ち直れる子
 ・人と同し待ち物でなくても平気な子
 ・点数くらいで、へこたれない子
 ・グズグズしないで、不正不当を訴えられる子
 ・テレテレ、デレデレと、人に迎合しない子
 ・たった一人ででも、やることはやる子
 ・人の目に、ビクビク、オズオズしない子

 こんな性質が家庭で育てられてやってきた子たちは、さわやかに学校を楽しんでい
た。
 不登校には万能論などない。成り立たない。一人ひとり、みなちがう原因の組みあ
わせで起こるのだから。
 ケースごとの対応策が必要なのだが、何はともあれ人間関係。これが成立しないと、
一般論も各論もないのだ。
 人間関係の成立するところに、不登校はない。各論の前段階がまた大切なのだ。

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こじろう

不登校の問題かぁ・・・これまた難しいな。

by こじろう (2012-08-13 15:07) 

ハマコウ

こじろう さん  ありがとうございます
本当に難しい問題です…
by ハマコウ (2012-08-13 16:59) 

toshi

コメント、ありがとうございました。
by toshi (2012-08-13 18:17) 

ハマコウ

こちらこそ toshiさん
またのご来訪を待っております
by ハマコウ (2012-08-13 21:13) 

ディブ松本

もうすぐ田舎に行く日が来ます
父親のいない不登校の子がおりどの様に接するか日々、熟慮しております
参考になる書物の紹介助かります。
by ディブ松本 (2012-08-13 23:28) 

はる

こんばんは、不登校のお話興味深く拝見いたしました。
私の娘はまさに担任の先生が怖くて小学校の時に不登校寸前になりました。一種の自律神経失調症のようになり、一度泣き出したら止まらない日々が毎日続き親としては途方にくれました。
その先生はやはり、指導はすごいものがあります。学芸会をやれば、小学校離れした出来栄えでした。でも、生徒はみんな心が折れそうな寸前で実際不登校になってしまった子も何人もいました。
私は、「成功」のためなら、子供の人格を完全否定する指導法に疑問をもち、その旨を伝えに学校に行きました。結局、大きく変わることはありませんでしたが、何とか持ちこたえて卒業して、中学校では見違えるくらいイキイキしました。
ハマコウさんの様に若い頃に目覚める先生もいらっしゃるかもしれませんが、ベテランになっても「信念」として貫かれる方もいらっしゃると思います。私は、先生が原因で学校にいけない子供が沢山出てしまうようなクラスはもはや学校では無いように感じました。
父兄が学校に物申すとモンスターペアレントなどと言われてしまう昨今ですが、あまりにもおかしなものにはやっぱり物申さずにはいられません。それほど生徒はこの先生に恐怖を感じており、すべての逃げ場を作らない指導法には、精神形成にも大きな影響を与えられたと思っています。行事でときどき会うこの担任の先生は私の顔を見ると飛んできて挨拶します。そんな配慮する余裕があるなら、生徒に注いで欲しいと何度も思います。
長々すみません、あまりにも似た状況の文章に出会ってしまって、つい…。
by はる (2012-08-14 00:25) 

ハマコウ

ディブ松本 さん ありがとうございます
八ツ塚さん 教員としての大切な姿勢を 易しい言葉で教えてくれます
自分を振り返るよい機会となります
by ハマコウ (2012-08-14 06:51) 

ハマコウ

はるさん ありがとうございます

「先生が原因で学校にいけない子供が沢山出てしまうようなクラスはもはや学校では無いように感じました」
という言葉 重く受け止めます

わたしも どちらかというと 子どもを駒のように動かすタイプでした(今でもどちらかといえば…) 子どもたちに辛い思いをさせてきたと思います
このごろ ようやく子どもの思いを…と考えられるようになってきました

以前は「学級王国」という言葉がありましたが 最近は チームで取り組むようになってきています
学年 学校がある程度まとまっていろいろなことに取り組むようになっています
思うことがあったら 担任 そして学年主任 教頭にすぐ相談するのがいちばんだと思います
悩んでいるうちに ますます辛いことがふくらんではいけませんから
by ハマコウ (2012-08-14 06:59) 

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