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浜松市立北小学校区の町 (1)『あの町この町: 遠州地名町名物語・浜松・浜北篇』加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年より (2)『はままつ町名の由来』神谷昌志 静岡新聞社 1988年 [読書記録 郷土]

今回は 加藤鎮毅さんの『あの町この町』 神谷昌志さんの『はままつ町名の由来』より
浜松市立北小学校学区の町名について紹介します。


今日 浜松市立北小学校の閉校式が行われます。
北小学校は以前勤務したことのある学校で、思い出の深い学校です。

隣接校区の浜松市で最初にできた小学校である元城小学校、 
また中部中学校と統合され、4月には中部学園として開校します。


閉校にあたり、本日様々なイベントが計画されていますが、
小学校が「地域に支えられている」学校だと強く感じています。


北小学校の校区を懐かしく思い出します。


中沢町には、ヤマハがあり、勤務当時はピアノの工場見学に出掛けたものでした。
元浜町には、ホンダ発祥の地として、アート商会跡の碑があります。
下池川町には、NHK浜松支局があり、テレビ発祥の地として高柳健次郎さんが画面に映
した「イ」の碑があります。




今回は、大部長くなりますが、北小学校区の町名のいわれを記します。


P1030141.JPG
午前中に行われた二部の様子です。
会場の皆で校歌を歌いました。




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☆浜松市立北小学校区の町
(1)『あの町この町: 遠州地名町名物語・浜松・浜北篇』加藤鎮毅 ひくまの出版 1981年より

あの町この町 加藤鎮毅.jpg

◇山下町

 曹洞宗の古刹「天林寺」の東山麓周辺は、昔より天林寺下又は俗称「山下」と一般に呼
称されていた。


 この町は1925年(大正14年五月)田町、八幡町、元城町、野口町、下池川町の各
一部を分割して合体し、新発足した。


 天林寺はやや高くなっている丘陵上に所在している。


 天林寺の山の下という意味で「山下町」と命名された。
 

 真徳山天林寺は、この地方では誰知らぬ人のない程有名な寺で、由緒ある古寺でもある。


 しかしこの天林寺くらい再三にわたり、寺号が変っているのも珍しい。当初は亀鶴山万
歳院といい、大安寺と改称しその後亀鶴山天徳寺と改め、しばらくして真徳山天林寺とな
り今日に至っている。







◇中沢町

 「遠江国風土記伝」によれば高は64石5斗8升4合、池川の下流「澤」となる所なり、
と当時の中澤村について記述している。


 三方原丘陵東側斜面の水を集めて流れる水の群が、常楽寺周辺で中規模程度の「沢」を
形成したことより「中沢村」という名ができたといわれている。


 又村のなかに、いくつも沢があったので「なか沢」とよばれたともいう。


 この町は江戸時代には敷智郡中沢村であった。


 1889年(明治22年)曳馬村大字中沢となり、1916年(大正5年)浜松市に合
併している。


 1965年(明治40年)1月、高林町、元浜町、助信町、八幡町の各一部分の地域が
行政の都合により、中沢町に繰り入れられている。


 この町の小字には次のようなものがある。


 村東、堂東、道東、大道西、高林境、村中、村西、道西、中新田、奥谷田、庚申下、勝
坂下、三反田、千段下、助信境、衛毛谷、山田中、道東、村前、新田、茶屋敷、籠田、西
田面、弁才天、榎本、馬込地中、天林寺下、覚池、火燈、西籠田、池川境、堂前、馬込境、
鞍骨、野口境、専木、段々、池川平、南新田、寺前、寺東、井西、北新田。


 ある古老は引馬野のまん中にある「沢」といういみで中沢となったと語ってくれた。


 「沢」とは広辞苑によれば
 ①低くて水が溜り、葦、萩などの生いしげった地、水草の交り生えた地

 ②山間の渓谷等をいう。


 東日本と西日本との相違の一つに地名があるが、東日本では「沢」という文字が最後に
つくのが多いのに対して、西日本では「谷」という字がつく。


 「中沢」などという地名はティピカルな東日本の地名だと思う。







◇元浜町

 杉浦国頭の著わした「曳馬拾遺」によると「野口、八幡、玄黙等謂是於元浜松也」とし
てある。


 1925年(大正14年)5月に八幡町、野口町、田町の各地がそれぞれ一部を割譲し
て新発足した。


 15世紀末頃までの浜松は、野口、入幡、早馬、玄黙地区であったといわれる。


「曳馬拾遺」によるまでもなく、この地区を相当昔より「元浜松」と称して合同地区のような地帯だった。      


 元浜松、浜松の元地という意味で、新町誕生に際して「元浜松町」とする意見が有力だ
ったが、もう少し短い名称の方がベターと、うことで「松」をオミットして「元浜町」に
落着した。


 古老によるとこの町には椿屋敷があり、この由緒ある名称にちなんで椿の木をはずして
「春木町」がよいのではないかという地元住民の声もつよかったという。


 浜松の文化遺産というべき地名の一つである。






◇下池川町

 浜松城がある丘陵地とNHKがある牛山との間の谷間を「池川谷」とよんでいた。


 谷間を渓流が新川に注いでいた。


 池川谷の渓流は浜松市の繁華街を南北に縦継して貫流している新川とつながっている。


 池川という地名は谷を流れている水の帯を池川と称したことに由来するという。池川が
新川となる附近が下池川であり、池川の上流が上池川である。


 「池川」の下の集落であったので「下池川町」となった。


 池川という川名は、この谷を中心とした風情が「お庭、庭園」の池水をほうふつとさせ
る趣があったからという。

















☆浜松市立北小学校区の町
(2)『はままつ町名の由来』神谷昌志 静岡新聞社 1988年


◇山下町

 嘉永年間に描かれた「浜松御域下絵図」(浜松市立中央図書館蔵)に天林寺山の東側に
「山下」と記入されており、すでに江戸時代から「山下」の地名はあったが、正式に「山
下町」となったのは大正14年5月の地籍整理のときで、それまで市の大字であった野口、
田、下地川、元城のそれぞれ一部があわさって発足した。


 天林寺は小高い丘陵上にある古刹、その山の東側のすそにあたるところから、俗称とし
て山下の地名があったため、新町発足にあたって山下町とした。


 浜松宿田町から東海道に分岐した秋葉街道は池町、下垂町(尾張町)、元目町をぬけ、
新川の手前で鍵の手にまがり、山下に入っていった。


 つまり山下は秋葉街道沿いの村として発達、秋葉詣での道者たちの往来でにぎわった里
である。


 新川にかかるいまの元目橋を渡り、元浜町の四つ角を北に直進、静岡銀行山下支店前を
ぬけて中沢町に至る二俣街道の新道が開通したのは昭和に入ってからで、それまでの本通
りは静銀山下支店裏側(西側)の道で、江戸の昔よりの秋葉街道がそれである。


 現在の二俣街道(旧国道152号線)に沿って家並みができたのは昭和6年に行われた
全国産業博覧会以後であった。


 浜松市主催で開かれた全国産業博覧会にあたっては、天林寺山一帯から、山下、元浜に
かけての広大な場所が会場に使われたが、このとき山下町は会場の玄関口となったわけで、
この町にとってもっとも華やかな時であった。


 天林寺山と元浜町との間、つまり山下町地内の秋葉街道をまたぐようにして架けられた
大規模な陸橋は、「キリン橋」と名づけられ、会場の雰囲気をもりあげるに大きな効果が
あった。





◇元浜町

 この町は市街地における北の歓楽街を形成しており、料理、飲食店、スナックなどが軒
をつらねている。


 昭和6年2月から5月にかけて浜松市主催の全国産業博覧会がひらかれたとき、天林寺
境内地と、当時一面の田圃であった元浜一帯を埋めたてて会場がつくられた。


 約5000平方メートルの○○が埋めたてられ、当時としては大規模な土木事業であった。


 博覧会終了後、元浜の埋立地あとに料理屋や花柳界が生まれた。その伝統的風土が今日
につづいているもので、華やいだ町の募囲気をもっている。博覧会が開催される前までは、
山下から八幡宮の森がさえぎるものがない状態で直接のぞまれたし、遠州電気鉄道の繭市
場前駅(現在の遠鉄八幡駅)西側にあったレンガ造りの日英水電の火力発電所の建物も、
田圃のむこうに見え、のどかな風景であった。


 元浜町が発足したのは大正14年5月。市の大字であった野口、八幡、田、の各字の一
部をもって新設されたもので、元浜の町名は「元浜松」からとった。


 江戸中期の地誌『曳馬拾遺』に

「元はま松といふこと有、むかしは引馬の駅といひて、今の野口村、八幡村、早馬、玄黙
(元目)なといふ所、引馬のむまやにして、すへての名は浜松とそいひけるなり、さるゆ
 へによりて、彼村の辺は今も元浜松といふなり…」

とあり、野口村や八幡村のあたりは引馬の駅といわれた頃の浜松の中心であった…としるされている。


 したがって新しい町が発足するとき、町名を「元浜松町」とする意見も出されたが、短
縮して「元浜」としたという。


 『曳馬拾遺』にもしるされている通り、江戸時代の元浜界隈は、敷智郡八幡村の一部で
あった。


 八幡村は明治22年に野口村、下池川村、上池川村、中沢村、高林村、助信村など16
か村と合併して曳馬下村の大字となった。


 その曳馬下村が明治24年、曳馬村と改称したため曳馬村大字八幡となり、大正5年に
村の大字であった野口や下池川、上池川、船越一色、中沢、それに高林の一部などと共に
浜松市に合併し、浜松市大字八幡の一部となった。

 
 その八幡の一部と野口の一部があわさって大正14年に元浜町として独立したものであ
る。






◇下池川町

 下池川町が発足したのは大正14年5月、それ以前は浜松市の大字であった。


 地籍整理にともなって、大字下池川の大部分に、新たに大字松城と上池川の一部を編入、
逆に一部を元城町、元目町、山下町、亀山町に編入させて下池川町が発足した。


 下池川は浜松市に編入される以前の浜名郡曳馬村大字下池川で、江戸時代から明治中期
までは敷智郡下池川村と呼ばれていた独立した一村であった。


 その下池川村が明治22年に八幡村や野口村など16か村と合併して曳馬下村となり、
翌々年曳馬村大字下池川となり、大正5年に浜松に編入されるまで、曳馬村の南西端の大
字であった。


 今は「城北」と町名が変更されたが、かつて下池川町の西には「上池川町」があり、そ
の山あいから流れ出る一筋が新川となって、市街地の中心を流下し、馬込川にそそいでい
る。


 水源の辺りは池沼になっており、その池に流れを発する川を池川と呼んだ。

 その池川の下流にあたる村であったため下池川と呼ばれたもので、沼地がひろがり、地
盤が悪く、また低地であるため、地震や出水に泣かされてきた。


 『曳馬拾遺』には

「山の井の浅きながらも、いにしへより絶すながれて、すゑは千町の田井となれり、又此
 川の辺に他の水神の社おはします、或人のいはく、此神は浜松の里人池谷、二橋、ふた
 氏のはしめの祖の神なりといヘり」

とあり、三方原台地の支脈が生んでいる浅い谷間ではあるが、昔から水が絶えることなく
湧き出て流れ、その先は多くの田をうるおしている…とみえており、水源にまつられてい
る水神さまは池谷、二橋両氏の先祖にかかわりをもつ神である…とも記されている。





◇中沢町

 西側に三方原台地の斜面があるため、台地に降った雨は幾筋もある谷間に流れ込み、沢
となってくだっている。

 そうした地理的理から中沢の地名が生まれたものであろう。

 『遠江国風土記伝』には「池川の下流、沢となる所なり」としるされているが、池川が新川をさすものであるとすれば、位置的に解釈に無理がある。


 中沢の中心は池川(新川)の流域よりかなり北方にあたる。


 中沢町は江戸時代の敷智郡中沢村である。


 中沢村は明治22年、八幡村、野口村などと一緒になって曳馬下村となり、明治24年
曳馬村大字中沢となった。

 その大字中沢が大正5年、浜松市に編入し浜松市の大字となり、大正14年に大字野口
の一部を編入して中沢町になった。


 昭和40年の住居表示にともない助信町、高林町、元浜町、八幡町の一部を編入、また
町域の一部が下地川町に移された。


 その後昭和41年には一部が域北1丁目に、また昭和48年にも一部が住吉1丁目に編入をみている。


 浜松市役所前から直北に一直線にのびる国道152号線(旧バイパス)が開通以後、急速な発展をとげている。


 中沢の地名がみられる古い史料としては天正18年(1590)に豊臣秀吉が真言宗の
常楽寺にあてて発給した朱印状があり、そのなかに「還江国浜松庄中沢常楽寺領之事」(静
岡県史料五・浜松市史史料編二)とみえている。


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saia

高柳健次郎氏は、ブラウン管を使った映像の送受信に世界で初めて成功して、テレビ放送の研究に大きな功績をもたらした人物、ですね。
そのテスト送受信にイロハの「イ」を使ったことは有名ですね!
どこで聞いたのか読んだのか忘れてしまいましたが、なぜか知っていました♪♪
井伊直虎もそうですが、浜松には地味だけれどすごい人が多くいらっしゃいますね\(^o^)/

by saia (2017-03-27 16:31) 

ハマコウ

saiaさん ありがとうございます。
初任の新設校が 高柳健次郎さんの出身地にあり、講演会に来てくださいました。かなりご年配でしたが、当時、まだ高価だったビデオと大画面テレビを寄贈してくださいました。大変ありがたいことでした。
もっとも、わたしが赴任したのは新設2年目で、直接講演を聴くことができなかったのを残念に思っています。
by ハマコウ (2017-03-27 18:18) 

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