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「いろいろあるよね、人生だもん №44」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より) [読書記録 教育]

今回は 5月24日に続いて 休刊となった『月刊少年育成』誌の連載記事より、
冨田富士也さんの「いろいろあるよね、人生だもん」を紹介します。


冨田さんはいつも、身の回りにある当たり前の中から、
自分が気づかなかった考えさせる話題を提示してくれます。



この話も心にぐっと浸みてきます。





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☆「いろいろあるよね、人生だもん №44」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より)

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 近隣のお寺の僧侶が互いに協力し合って法要するような岐阜県のある山間部の「おせが
き」に招かれた。


 盆供養を前にしての大事な年中行事で講演先の三か寺とも本堂は足腰に手をあて撫でる
お年寄りでいっぱいだった。
 

 その合間をぬって地域にある養護老人ホームに″慰問″講演で訪れた。
 

 入寮者、80名近くの平均年齢は84歳位だと付き添いの社会福祉協議会会長さんが教
えてくれた。



 喜寿を迎える会長さんも″手品″の慰問によくホームに行っているようで事前のレクチ
ャーを送迎車のなかでうけた。


 多くは一人暮らしのお年寄りであること。肉親の有無は関係なくそれぞれの″事情″の
なかで入寮している。その事情は他人がとやかく語れるものではないので会長さんがさら
っと話すひと言から勝手に私がイメージをふくらまして聞くしかない。

 
「人間関係が上手くいかなかったりね…」


「どんどん外に出て買物にいくお年寄りもいますねぇ…」       


「入寮しているお年寄りのほとんどはこの地域の方ですよ…」



 経済基盤の貧しい時代には老人ホームはなかった。


 たとえばどんなにしんどい人間関係を家族のなかで抱えても雨露をしのぐためには「こ
の家」にいるしかなかった。


 夫の理不尽な暴力から逃れ身をまもりたいと願ってもそんなに簡単に「かけこみ寺」は
なかった。

 また地縁・血縁の村社会から飛び出ていくには「他人を頼らない、自分の力だけを信じ
て生きていく」力強さが必須だった。


 それはそのまま、「他人に憎まれても恨まれても生きのびていく」たくましさでもあっ
たはずである。



 その生死をかけた覚悟に一歩踏み出す機会を見失ってしがらみに苦しみぬいて一生をお
えた人もいたにちがいない。


 そう思うと福祉社会の到来で救われた人は数多いはずである。


 しかしその一方、福祉で今日の生活は保障されたものの、それまでの人間関係を背負い
切れなかった、とその悲しみを今も引きずっている人はいるはずである。



 その葛藤が厳しく渦巻くのがまた福祉現場の実態でもある。



 私は会長さんの話をうかがいながら、

「元気な体でこの地域に暮らしていても人間関係の悲哀からホームに入っているお年寄り
 がいる」

事を察して少し切ない気持ちになっていた。


 小さな村の集会所のような雰囲気のホーム内の会場には30名近くのお年寄りが私の登
壇を待っていてくれた。


 男性数名を除いて他はすべて七、八十歳代の女性であった。身綺麗で元気そうな「おば
あちゃま」から、戦後の混乱を必死に生きのびてきたような歴史を感じさせる顔立ちの「お
ばあちゃん」まで、本当にさまざまな人がいてくれた。


 多少の話の組み立ては考えるが、基本的にはその場にいる人のお顔をみて講演の内容を
変えていく私である。


 最初は会長さんの送迎車のなかで聴いた演歌歌手の村田英雄さんの歌を一緒に歌って山
坂越えてきた人の一生を振り返ってみようと思っていた。



 ところが、登壇すると同時に、気のよさそうな小柄な男性の笑顔が私の目に飛び込んで
きた。ステッキにジャージー姿が私の父親の晩年(享年83歳)に似ていた。


 私は父親と母親と三人で暮らしていた幼いころの「夫婦げんかの絶えない日々」を語り
はじめていた。


 昭和30年代後半の話である。


 貧困と外面のいい父親の家庭内での横暴さ、そして母親が「気丈になるしか家をもりたてられなかった」日々の話は予想以上に聴衆の気をひいた。


 何度も別れ話のあった両親が結局は別れられず、私と同居するようになってから、一人
息子の私を″味方″につけ母親が圧倒的に父親をコントロールしていった話がとくに受け
た。


 もちろんそこには老いていく父親が強がりつつも、過去をわびる自責の念があればこそ
である。


「おじいさんが死んでも私は泣かないよ」


と気丈に言っていた母親が葬儀でいよいよ茶毘に付すときに取り乱して柩にすがりつくシ
ーンの話になった。


 するとあの小柄な男性がもぞもぞし出した。

 私は″落ち″に近づいていた。


「そんな母に私は父の年忌や供養の日になると言うのです。『あのときは驚いたよな。お
 袋は親父が本当は好きだったんだな』と。すると母は私たち夫婦や孫に向かって『エー
 そんなことがあったかねぇ』ととぼけ顔で言い返すのです」



 若干反応の遅いお年寄りのなかで、その男性がいちはやく「クスッ」と私の″落ち″に
笑ってくれた。


「旦那さんも、いろいろあったみたいですね」


 私の間髪を入れない問い掛けにその男性が目元に涙をいっぱいためて照れ臭そうに黙っ
て笑った。

 私は父親の自責の念の思いを想い出していた。






 約束の20分のお話が終わりホームを出て会長さんが感想を言ってくれた。

「いくつになっても親の話は感動します」

 子のない人はいても親のない人はいない。

 私も今年の盆はしばらくぶりで母親と一緒に父親の墓参りに行くことにする。

 すでに母親も父親の年齢を越える身となった。投げ出す足を手で撫でる母親の姿を今日
も旅先で思い出している。


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