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「そんな話、まだ聞いていなかったよ」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より) [読書記録 教育]

今回は 休刊となった『月刊少年育成』誌の連載記事より、冨田富士也さんの
「そんな話、まだ聞いてなかったよ」を紹介します。

気づかなかった考えさせる話題を提示してくれます。


亡くなった父、認知症になった母から、もっとたくさん話を聞いておくべきだったと、今
更ながらに思います。


自分が子供たちに…その思いを強くしています。



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☆「そんな話、まだ聞いていなかったよ」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より) 

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 聞いているようで聞いていない話があるものである。


 またこちらが積極的に聞き出そうと構えてしまうと、相手も緊張して、意識するまでも
ないような話は思い浮かんでこない。


 なにげない会話のなかでこそ聞くことのなかった、ふっと思いついたような話と出会え
るものである。話す本人にとってはたわいない話かもしれないが、聞くその立場によって
は落ち着ける話であったりする。




 夕食のときに母親と食卓についたときの話である。


 その夜は妻も娘たちも外出していて不在だった。私はひさしぶりに母親と二人で食事を
とることになった。とかく日銭をかせぐために働くだけで戦後ずっと生きてきた母親は手
料理も「ろくにできない」身である。


「わしの料理じゃ、お母さんや子どもたちと違ってうまくもないだろうから、なにか帰り
 に店で好きなおかずでも買ってこい。わしは味噌汁といもの煮っころがししか用意して
 いないからな。ビールは冷蔵庫に入れて冷やしてあるからな」


 こんな言葉を帰りぎわに相談室の電話口で言われてしまうと、なんとなくわざわざ店に
寄ってまでおかずを買う気にはなれない。「うまくないいもの煮っころがし」があればこ
そ、私は家庭の経済的破綻も経験することなく子ども時代を過ごすことができたわけであ
る。


 母親はぶっきらぼうに缶ビールとグラスを私の目の前に置いて、いもを小鉢にもった。


「自分で缶を開けて飲めよ。わしはお母さん(妻)のように注ぐなんってことはできない
 からな。おじいさん(夫であり私の父親)にも注ぐことはなかったな。稼ぎが悪いから
 仕方がなかったけど、とにかく働きづめだった。だからおじいさんには時間がきたら(夕
 刻)酒だけ出しておいて、わしは明日の朝の仕事に出掛ける(行商)準備だった。おじ
 いさんも酒と菜っ葉漬けさえ出しておけばそれでよかった。いまの人みたいにあれもこ
 れも用意するなんってことはなかったな」


 やはり、ここでも母親と二人で向きあい、気を散らすことなくその話を聞いていると私
の目頭が熱くなってくる。


 両親のその「つつましさ」があればこそ、私は家を出ても送金の心配をしないですんで
いたのだ。


 中学を卒業して一緒に就職した友人たちのほとんどは親に給料をわたしてこずかいをも
らっていた。


 私は全部一人で管理し、自分の名前で貯金もできる身分であった。


 食事を終わろうとする母親にまだ酒を楽しんでいる私はその立ちあがる足をとめようと
して話しかけた。


「昔の人は働いたな」


 母親の話のフタをあけるにはこの青菜をかけるのが一番の ″効果″がある。ただ唐突
に言うと、「今の若いものは…」と比較から説教になってしまい、こちらの心は閉じてい
く。ところが話す相手も二人しかいないようなインターバルのとりやすいこんな日は母親
も気負いがなく安心して自分と向きあう話ができる。


「そうだな、働いて死んだ。そういえばおじさんも(母親の弟で私にとって叔父)働きづ
 めで、死ぬときは脳いっ血であっけなかったな。わしらん家はわしの父親も脳いっ血で
 海で死んでしまったなり沖から伝馬船で父親が海端につれてこられたときに母親が海ん
 なかに向かって泣き叫けんで行ったのをわしは今もおぼえているな。父親は三十代で、
 小さかったわしは母親に『おじいさん(曾祖父)が代わってくれていたら』と泣きつい
 た。わしの父親と母親は昔の人にはめずらしい大恋愛だった。長男、長女で、母親の方
 が積極的で、婿にきてもらったんだ。でも子どもがなかなかできなくて、やっとわしが
 長女として生まれたんだ。だからわしは可愛いがって大事に大事に育てられた」


 私にとって初めて聞く話だった。母親と四十数年にわたって親子関係をしていながら新
たな〃命の継承〃だった。そしてその話を開いて私は母親が八十数歳になる今でも、恋歌
が好きで、それを歌いたくて老人会の旅行に行く理由がわかった気がした。


「そうか、そうするとわしも脳いっ血でぽっくりいってしまうかもしれんな。長く世話に
 なって生きているより、その方がいいかもしれんな」


 私はうなずきながらこう話す母親をみて、


「ダメだよ、死んじゃ、まだ聞いておかなければならないことがいっぱいあるんだから…」


と心のなかで叫んでいた。


 親成の人の名をあげ死因をたずね始めると


「あとはよく分からん」


と腰をあげる老いたる母親だった。いつまでたっても父親でいることよりも息子でいたい
私がふがいない。
      (2003.1月号)