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東井義雄さんの言葉 36 「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」 東井義雄 明治図書 1983年 ③ [読書記録 教育]

「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人間を大切にし合うことはもっ
 ともっと難しい修行だ。しかし、その難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はそ
 の道場だ。」

「家庭はきれいごとのできるところではない。しかし、きれいごとのできないままやはり
 絶えず光を求めて生き合うところが『家庭』であるのではないか。」




今回は 6月20日に続いて、  
東井義雄さんの東井義雄さんの言葉35「どの子も必ず救われる」の紹介です。




今回紹介文から特に印象に残る言葉は…

・「大人が病んでいるから子供が病む」


・「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた行動を善という」


・「男と女を足して二で割ったような男でも女でもない気持ち悪い人間が国中に溢れてい
 る」
- 時代を感じますが…。


・「叱られる子と共に辛さを分かち合いながらともに我慢」
- 子どもを叱る=自分を叱る、道場と呼ぶわけです。




「豚児」の言葉を見なくなるわけです。




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☆東井義雄さんの言葉 36「どの子も必ず救われる 私の家庭教育論」 東井義雄 明治図書 1983年 ③

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<家庭の回復>

◇夫と妻・父と母

□大人が病んでいるから子供が病む

人間が人間に育つためには母の胸に抱かれて乳をもらうことも大切な条件



大人の狂ったあり方が狂った子供を育てている




□下農は雑草をつくり、上農は土をつくる

 永井道雄元文相の母
「自分の利益のみ考えた行動を悪というが、万人の利益を考えた行動を善という」


 中村白葉
 「事実は絶対である。その重さは比較を絶する。」


 男があり女があるという事実の重さを狂わせている言葉=「男女同権」
男と女を足して二で割ったような男でも女でもない気持ち悪い人間が国中に溢れている
  



□家庭というところ

「家庭は人生の道場だ」
家庭はきれいごとのできるところではない。

しかし、きれいごとのできないままやはり絶えず光を求めて生き合うところが「家庭」
 であるのではないか。



  女の人に慎みや恥じらいが急速に失われている

○永井元文相母堂 
 「神なき知育はさかしらな悪魔を育てる」
家庭とはきれいごとのできるところではない。
しかし、その中に人間の生き方が求められなければならない。
 



□荒れの中にあっても  

 人間の生き方 









◇家族としての老人

□人間を大切にし合う家庭

○禅僧
「座禅の修行が難しいというが、家庭の中で、家族が互いに人間を大切にし合うことはもっ
 ともっと難しい修行だ。しかし、その難しい修行の中で人間は育っていくのだ。家庭はそ
 の道場だ。」


○人間の心を育てる家庭

近頃この苗床の荒れがひどくなってきている。冷たくやせたものになってきている。




□庄ちゃんの日記 庄ちゃんのあたたかい人柄

「一人の悲しみはみんなで分けて悲しみ、一人の喜びはみんなで大きくして喜び合う家庭」

 


□老人もそのあり方を 

 味方のいない孤独な存在

 真実を皆で話し合える家庭に




□おじいちゃんと孫

 松田道雄『在野の思想家たち』(岩波書店) NHK『孫の教育』
叱られる子と共に辛さを分かち合いながらともに我慢


 親鸞「親鸞は弟子一人も持たずに候」




□おばあちゃんと孫




□育て合い活かし合いの家庭

鈴木道太『叱ってよい時悪い時』(明治図書)

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「『私はひとりでいたいのです』-それでいいんですかね?」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より) [読書記録 教育]

今回は 6月23日に続いて 休刊となった『月刊少年育成』誌の連載記事より、
冨田富士也さんの「『私はひとりでいたいのです』-それでいいんですかね?」
を紹介します。


冨田さんは、自分では気が付かない「考えさせる話題」を提示してくれます。




『月刊少年育成』連載記事の名前は「せめぎあっておりあっておたがいさま」。
「おたがいさま」の感覚の大切さをこのごろ強く感じ、『月刊少年育成』誌の復刊を強く
望みます。







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☆「『私はひとりでいたいのです』-それでいいんですかね?」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より)

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「人はどうして、一人で生きることがゆるされないのですか」
 


 中三のA子さんは毎日、学校には通っているが、いつ不登校を宣言するか「予断をゆるさない」状況にある、と両親はいう。


 その彼女が最後に両親、とくに母親に詰め寄る言葉がこの″フレーズ″である。


 母親はそのたびに黙ってしまう。以前は必死にA子さんに喰いさがっていた。

「一人じゃ生きられないの」

とA子さんに言えば


「本人がそれでいいといっているんだからいいじゃないの」

と母親はA子さんから押し返えされた。


「勝手なことを言わないの。自分の都合通りに人が動いてくれないからといって。そんな
 言い方こそゆるされないのよ」


と母親が怒りをもってA子さんに体当たりしていくと再びいつもの″フレーズ″がつぶ
やかれる。


 そしてなにかに自信を失くしている娘の気持ちを察すると母親は黙っているしかない。


 すると彼女は登校する。しかし出掛けた後の母親の気持ちはすっきりとはしない。 


 友だちのできない悔しさをただ言いたいだけなのではないか。


 もしかしたら母親としての責任ある怒りと思い言っていたことが娘にとってはすべて押
しつけになっているのではないか。


 だとしたら娘の心を追い詰めるために黙っていることになりはしないか。




 そんな母親の困惑ぶりをみかねた父親が、

「親や先生ではない第三者の人に聞いてもらうこともいいかもしれない」

とA子さんを誘い私の相談室に二人で訪れてくれた。



「今日は娘の話を十分に聞いていただきたいと思いますので…」

 父親はそう言うと話のリードを私にあずけてきた。


 私はうなずきつつA子さんの様子をうかがい問いかけた。


「いきなりふられても困るよね。ただ少しお母さんも疲れているようだね」


 A子さんはおとなしさと共に自分の気持ちを正直にうちあけることを抑制しているよう
な戸惑う話し方だった。


「私は毎朝、学校に行くことがつらくてつらくて心は家にへばりついているんです。だか
 らそんな私を学校に送り出す母もつらいと思います。迷惑のかけっぱなしです」


 父親が口挟む。


「迷惑ということはないよ。休んだ方がよければ休んだ方がよい。休まなくても行けるよ
 うなら行った方がいいとお母さんもお父さんも思っているんだ」


 A子さんは父親の話に抵抗する様子はなく首を軽く上下にした。


 私はとつとつではあるが話せば一区切りつくまで話せるA子さんだったので父親より
も彼女に顔を向けた。


「3年生になってクラスが変わり、それまでずっと仲の良かった友だちと別れてしまいま
 した。それでも友だちをつくることに努力しました。自分から気をつかわなければ仲間
 に入れてもらえないのですこしみじめな感じもしましたが、できました。やっとできた
 友だちなので自分の責任で壊したくないと思い、気はすり減るほど毎日つかってきまし
 た」


「みじめな感じっていう風に受けたんですね」
 

私は、「そんな受けとめ方でいいのですか」というニュアンスを込めながらたずねた。


「プライドが高いのですか、私は。最初に友だち関係を作るときはどちらかが相手にあわ
 せていくからできるんですよね。弱者が強者にあわせていくんですよね。私は弱者です。
 だからみじめなんです。でも堪えてやりました」
 


 彼女の話を聞きながら私は腹が立ってきた。もちろん腹の立つのは私の問題だから、そ
の感情を落ちつかせ(整理して)なんらかの気づきの擾助になる返し方が私に求められて
いた。


「ちょっとこんな言い方は理屈っぼいけど、友だち関係ができたとしたら、それは相手の
 方もあわせる努力をしてくれたからこそ、じやないのかな。かりにA子さんがこびて
 友だちになったと相手の子がたまたま噂で聞いたら悲しいだけではなく、腹も立つと思
 うよ」



 独り善がりになるとどうしても傲慢になりやすい。表情の気の弱さにくらべて内心では
素直になれない頑固さに苦しんでいる子はバーチャルな人間関係に包まれているこんな時
代だからこそ多い。


「先生がクラスで二人組みをつくらせて授業をしたりしますが、いつも余るのは私です。
 どうして一人でいさせてもらえないのですか」


 A子さんは自分の課題と向きあいつつあった。相手に対し、心のなかでいくら気をつか
っても行動化しないとその真意は伝わりにくい。


 しかし行動を起こすには拒否されたり、否定されるような傷つくリスクを覚悟しなけれ
ば一歩踏み出せない。


 実は安易に人間関係というがそこには互いがその重みを自覚した関係があればこそ果た
せるものである。「一人でも生きていける」と言う人がいるがそれはこの責任ある関係か
ら逃避する ″強がり″である。


 やっとA子さんから素直な思いがこぼれた。           


「どうして一人でいると寂しいのですか」


 言葉に頼るのではなく日々の暮らしのなかでこの答えがみつかることを今の子どもたち
は求めているにちがいない。



 親が子に話し、たずねることといったら勉強と成績のことだけ。

 それでいいのでしょうか。
(『少年育成』2003.5)

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