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「いいんですかね、なにもしないで №50」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より) [読書記録 教育]

今回は 6月10日に続いて 休刊となった『月刊少年育成』誌の連載記事より、
冨田富士也さんの「気づいたことが優しさなんですね」を紹介します。


冨田さんはいつも、身の回りにある当たり前の中から、
自分が気づかなかった考えさせる話題を提示してくれます。


連載記事の名前は「せめぎあっておりあっておたがいさま」。


「おたがいさま」の感覚の大切さをこのごろ強く感じています。


『月刊少年育成』誌の休刊をいまさらながら残念に思います。








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☆「いいんですかね、なにもしないで №50」冨田富士也(子供教育フォーラム代表)(『月刊少年育成』連載 せめぎあっておりあっておたがいさま より)

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 もちろん毎日が節目ではあるが、とりわけ年の瀬、新年を迎えると、自分の足もとをみ
つめ事実を事実として受けいれる場に立たされる。


 そしてその節目で気づかされることは喜びばかりではない。


 先への不安、おぼつかなさ、迷いもある。

 年の瀬の瀬はそのまま瀬戸際の瀬でもある。

 踏ん張るしかないと思っても何をどう踏ん張ればいいのか、そこでまた心は乱れたり苛
立ちもする。


 しかし心の動揺もその事実から逃げないで向きあおうとするからであって、その意味で
混乱は一方で尊い姿である。


 だがやっぱり一人で背負うには事実が重すぎる。


 だから幼子のようにぐずってもみたくなる。


 そのとき「不安でいるのはあなた一人ではない。ここにいる私もその一人です」


 そんなメッセージがやり取りのなかで確かに届けられると、人は瀬戸際を乗り切り、新
たな一歩を踏み出せるのではないだろうか。






 すでに私の相談室を訪れてから8年近くになる夫婦がいる。

 高2で中退した長男は23歳になり両親が住む家から2時間位かかる所のアパートに
独りほとんど外出することもなく住んでいる。


 彼はどうしても隣近所の目(評価)が気になり、若干トラブルを起こしたこともあって
20歳で家からはなれた。


 彼が今なにを考え、どのような行動を起こそうとしているのか両親にはよくつかめない
でいる。


 なぜなら、家賃、光熱費は彼名義で銀行の自動引き落とし、生活費は送金しか受けつけ
ない。


 彼の暮らしぶりの見当が両親にはつかない。


 彼と最後に親子の顔合わせをしたのは引っ越しの日であった。


 もちろん両親はこの3年間に何度か会うためにアパートを訪れたが、親と分かるとドア
の鍵があけられることはなかった。


 なぜ拒絶するのかが本人の口から語られていないので両親は″勝手″に自分を責めるし
かない。


 しかしそれが彼の真意であるかどうかは分からない。


 まさに打つ手のない苦しみである。


 日々の仕事に追われていれば時は過ぎ去って

「今年も何もしなかった、なかった」
とつぶやいて新しい年を迎える。


 わずかの休息が、まったく帰宅することのない彼を想い「このまま何もしなくていいの
か」という親であるがゆえの苦悩を生む。


 そんな年末年始のなかで彼について尋ねてくる人に父親は

「一人暮らしでフリーターしながら自分の生活を楽しんでいるようです」

と言って早目にその話題を切り上げる努力をしているという。





 そして昨年の年の瀬。




 夫婦の面接はこんなやり取りから始まった。父親が私に心情を語る。


「早いですね。また一年たちました。結局今年も会わないまま年越しです。いいんですか
 ね、何もしないでお金だけ送りつづけていて…会って直接に年末年始を家族そろって過
 ごしたい。そんな気持ちを伝えた方がいいと思うのですが…。″専門家″としていかが
 ですか」


 すると母親が渋い顔をして言う。


「お父さんは日ごろの面会にはこないのに、この時期になると来て、すぐその質問をする
 んだから…会って聞いてくれるんだったら今まででもきっと会えたはずよ。私たちだっ
 てあの子に何もしていないわけではないのよ」


 父親は「当然」といった表情でいい返す。


「あたりまえだよ。お金も全部出してあげているし、働けともいわない。それに会わない
 ように努力もしている。しかしこんなにまであの子の言いなりになっていていいのかと
 いいたいんだよ」


 やおら母親が私に父親のなげきをふる。
 

「ねえ、先生。会いたくても会えないであの子が自分で私たちに言ってくるのを待つ。そ
 の私たちの苦しみがあの子の苦しみなんですよね。そのことを信じていいんですよね。
 またあの子の心をかきまわしてしまうような逆戻りはしたくないし、してはいけないん
 ですよね。私たちがあの子にできることは信じて待ってあげることだけ。あとは何もで
 きませんよね」



「もちろん俺もその覚悟はとっくにできているよ。でもいつも新しい年がくると思うと頭
 は混乱し、心も動揺するんだよ。ゴミを出している様子もないようだし…」
 

 父親はゴミさえ出せないほどに息子の心が疲れきって意欲喪失状態になっていることを
案じているのだろう。



 親の願いに応えてきた子は「自分の人生の主人公は自分である」ことを取り戻すために
あえて親を拒絶したりする。

 それは親を嫌いなわけではなく自立を意識するあまりである。だからただふれてほしく
ないだけである。


 父親は瀬戸際の年越しに取り乱すことで妻と私との三人の心が確かにつながっているこ
とを確認し新年に希望を抱こうとしたのではないだろうか。


 それだけに彼の年末年始を想うと、また切なくもなる。