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「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑦(最終) [読書記録 民俗]

今回は 9月16日に続いて 宮本常一さんの 
『宮本常一著作集51 私の学んだ人』紹介 7回目 最終です


「歩く民俗学者」と呼ばれた宮本常一さん
宮本さんがどのようにして民俗学者となったかが分かります



編者(田村善次郎 さん)あとがきには

「宮本先生の人をみる目はしなやかであたたかい。武蔵野美術大学や日本観光文化研究
 所などに集まる若い人たちを指導するときの先生は、相手の話をよく聞き、その長所
 を引き出し、それを伸ばすことに意を注ぎ、批判がましきことは全くおっしゃらなか
 った。本巻の校正刷りをよみながら、そのことをしきりに思い出していた。」

と あります



今回紹介分「柳田(国男)先生について」から強く印象に残った言葉は…

・「芦田恵之助先生の一面」
- 国語科教育で大変著名な方です



最終の今回は 何だか人の名前を並べただけになってしまいました…





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー

 ものづくりの街 浜松
 行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
 浜松市街地 ザザシティ中央館3階にあります 
 詳しいことはホームページをご覧になってください
 ホームページにも魅力がいっぱい詰まっています
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☆「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑦(最終)

1.jpg

<先人追憶追悼>

◇熊田氏の思い出 明治36(1903)年~昭和11(1936)年

 「土の香」




◇芦田恵之助先生の一面 明治6(1873)年~昭和26(1951)年

 宮本常一は昭和14(1939)年秋教職を去る

(「恵雨自伝」)
自分の人間としての弱さをジッと見つめていたばかりでなく、私などにも隠さな
  かった。





◇人々
早川孝太郎氏

 岩田準一氏

 南方熊楠氏

 山口麻太郎氏

 小林存翁氏

 折口信夫先生

 小倉豊文先生

 山本明さん

 山下元一郎さん

 細島正興氏

 鈴木栄太郎先生

 大間知篤三先生

 澤田四郎作先生

 馬場勇さん

 藤永元作先生 

 萱野茂(大正15 1926~平成18 2006) 

 桜田勝徳さんとの旅
 
 学友としての和歌森太郎 

 山田氏 

 橋浦泰雄さん

 宮本馨太郎さん

 戸田謙介さん




◇アチック同人とその作品

知里真志保とアイヌ民族研究資料


 佐藤三次郎の幌別漁村生活誌


 大野笑三と南千島積丹島誌


 男鹿寒風山麓の吉田三郎


 武藤鉄城 自然と伝承


高橋文太郎 「秋田マタギ資料」


大庭良美 「石見日原村聞書」


岩倉市郎と存幸一郎 喜界島調査


 朝鮮多島海旅行


 桜田さんと漁村及び漁民の世界


 早川さんの島の旅


 農村経営史の先達早川さん
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「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑥ [読書記録 民俗]

今回は 9月13日に続いて 宮本常一さんの 
『宮本常一著作集51 私の学んだ人』紹介 6回目です

「歩く民俗学者」と呼ばれた宮本常一さん
宮本さんがどのようにして民俗学者となったかが分かります



編者(田村善次郎 さん)あとがきには

「宮本先生の人をみる目はしなやかであたたかい。武蔵野美術大学や日本観光文化研究
 所などに集まる若い人たちを指導するときの先生は、相手の話をよく聞き、その長所
 を引き出し、それを伸ばすことに意を注ぎ、批判がましきことは全くおっしゃらなか
 った。本巻の校正刷りをよみながら、そのことをしきりに思い出していた。」

と あります


人々とつながりを感じさせられます



今回紹介分「柳田(国男)先生について」から強く印象に残った言葉は…

・「日本青年館で教員の講習会」
- 初期の民俗学を支えたのは教師が多かったと聞きます
  
・「新しい東京が日本中を覆い始めている。そしてそこにあった在来のものを消しつつ
  ある。」
- 地方らしさを大切にしたい…
  グローバルが叫ばれる現在 その国らしさも… 
  

・「柳田国男は一般に愚昧の民として見られていた民衆の中の文化を発見した最初の人
  であった。それまで知識人たちは、文字を持たない世界には文化はないと考えてい
た。しかし、文字はなくともことばで、行為で、事実で、文化を伝えていく方法は
いくらでもあったのである。また、その伝え方自体の中にも文化は存在である。」
- 宮本さんが柳田さんへの敬愛の気持ちが伝わってきます



新しい学問へと向かう意欲を強く感じました




<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー>

 ものづくりの街 浜松
 行くたびに新しい感動が得られる 山田卓司さんの世界
 浜松市街地 ザザシティ中央館3階にあります 
 詳しいことはホームページをご覧になってください
 ホームページにも魅力がいっぱい詰まっています
浜松ジオラマファクトリー






☆「宮本常一著作集51 私の学んだ人」宮本常一 未来社 2012年 ⑥

1.jpg

<柳田先生>
◇柳田先生に学ぶもの

 昭和2(1927)年  
   師範学校の友より
      「この人の書いたものにはできるだけ気を付けて読むように」と

   理由 農民文化を内側から見る人だから
  
        「旅と伝説」「郷土研究」

   大阪田舎周りの小学校に勤務していた(宮本)
     「口承文学」雑誌を作る




 昭和9(1934)年10月28日
   京都下鴨の宿で初対面 
澤田四郎作・桜田勝徳・岩倉市郎の名と住所を教えてもらう
  
         ↓ 

和泉郷土研究会 小谷方明君



大阪民俗談話会 → 近畿民俗学会




 昭和10(1935)年8月
   日本青年館で教員の講習会

  「民間伝承の会」発足 → 日本民俗学会

  「民族」雑誌
     ~ 歴史学・考古学・人類学・民族学の人々も
    
       調査者の育成が大切
 
       郷土研究 ~ 郷土で研究すること 

細かな配慮を!
        「姑の嫁いじめは声を大にして叫ばれても 嫁の姑いじめは消されて
         しまう」   




 昭和14(1939)年
   アチックミューゼアム入り

柳田氏 ・壁を意識させないようにする努力
  ・行き届いた目の配り方
  ・断定を下す前に一歩退いてその反面を考えてみる態度








◇柳田先生のこと

「書物によって勉強するよりも歩いて、見て、という生活が続くと、書物を読みこなす
 力がまるでなくなってしまう。書物を読んだのではイメージが湧いてこないし、その
 中から思考を発展させることができない」



先生の始められた学問の幅と奥行きはたいへんなものであって先生は無限に問題を提
起していった。


 師の学問を発展させ、また問いに対する答えを書くことはできない。

 新しい東京が日本中を覆い始めている。そしてそこにあった在来のものを消しつつあ
る。







◇柳田先生のお目にかかるまで

 長塚節 「土」に感動



 昭和7(1932)年 
   北池田の小学校に勤める




  放課後半径一里ほどの間を歩き回った
「口承文学」年4冊発行 毎回50冊 謄写版

「酒盛り塩盛り」を寄稿 柳田




 昭和9(1934)年10月28日
   京大生・青元一郎君と二人で下鴨の石田旅館







◇日本民族学の設立者・柳田国男 

柳田国男は一般に愚昧の民として見られていた民衆の中の文化を発見した最初の人
であった。

 それまで知識人たちは、文字を持たない世界には文化はないと考えていた。

しかし、文字はなくともことばで、行為で、事実で、文化を伝えていく方法はいくら
でもあったのである。また、その伝え方自体の中にも文化は存在である。




明治42(1909)年「遠野物語」

一貫して常民文化の解明に努め世人一般にその文化の価値を知らしめた。

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