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「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1978年 ⑩(最終) [読書記録 教育]

今回は、4月17日に続いて、坂東義教さんの
「坂東先生の教育講座」10回目の紹介最終です。


随分前に出版された本ですが、大変勉強になる本です。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「撫でながら叱る効果」


・「よりよい親子関係への近道
  ① 親は愛情正しく表現する
  ② 溺愛や猫かわいがりにならぬこと
  ③ 支配的になりすぎない」
- 八ツ塚実さんの言葉「見くびらず買いかぶらず」と同様のことですね。





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☆「坂東先生の教育講座」坂東義教 テレビ朝日 1978 ⑩(最終)

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◇心からありがとうが言えますか

□大学生に難しかったこと - 「ありがとう」

 「知るは愛なり」

 「最高の理解こそ無二の愛情」



□相手の心を理解したとき怒りと憎しみは消え去り相手に愛情を感じるもの



□労苦に耐えた母親の話

 - 主人の理解



□感情の行き違った夫婦の話








◇ふれあい

□皮膚と愛情



□愛撫が乳児の死亡率を低めた



□髪でつながる母娘 髪を切ることが母親の愛を失うこと?



□爪切り父さんのこと
                                                                                            □撫でながら叱る効果







◇よりよい親子関係への近道

□まず子供の価値を求めよう 

 ① 親は愛情正しく表現する



□子供の不適応は親の責任

 親の冷たさが不良化の原因



□精神的親子心中      

 ② 溺愛や猫かわいがりにならぬこと



□自分の不安を子供に押しつけるな


□過剰支配の親の盲点 ③ 支配的になりすぎない

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教育ノートから「教師」21-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年(2) [読書記録 教育]

今回は、4月11日に続いて、教育ノートからキーワード「教師」21回目、
小浜逸郎さんの「先生の現象学」の紹介2回目です。




出版社の案内には、


「公教育の先生はどんな属性を負い、それはどのような歴史的由来や社会的条件から規定
 されたのか。『センセイ』という神話的機能を解体する本。教師のアイデンティティは
 どこに求めたら良いのか。」


とあります。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「なぜ本来の仕事以外の校門遅刻チェックをやらなければならないか?
- 『センセイがそんなことまでやる必要があるのか』」


・「師範学校令 土台下に埋め立てる小石
  - 国家のために犠牲になる決心 教育の僧侶」
-「教育の僧侶」?、確かにそのようにも… 


・「聖職者規定をいかに現実的に無化させていくか 
- 自己陶酔的な信仰にならない」





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☆教育ノートから「教師」21-「先生の現象学」小浜逸郎 世織書房 1995年(2)

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◇学校現象の正しい認識 小浜逸郎
  
□校門圧死事件の問題点(報道)

 1 滅多に起こるはずがない

 2 当の教師は悪意を持った犯罪者ではない

 3 遅刻管理の不可避性  

    なぜ本来の仕事以外の校門遅刻チェックをやらなければならないか?

→ 「センセイがそんなことまでやる必要があるのか」

     ∥
 「センセイ」存在の破れは,「センセイ」が姿勢を正したり,良き管理法を編み出した
りすることによっては,とうてい解決のつかない深い文明史的理由を持っている。





◇教師はどう捉えられてきたか 小浜逸郎

「センセイ」聖職者と労働者(専門職)

 - 聖職者は理念,あくまで基本は労働者





◇「教師=聖職者」規定 小浜逸郎
  
「センセイ」は自らどこかで自分たちを聖職者であり労働者でもあると考えてきた


 元祖 
  - 森有礼 1884~1889文部大臣 教育制度の整備事業


師範学校令 土台下に埋め立てる小石
- 国家のために犠牲になる決心

       教育の僧侶



 井上剛等  + <天皇の精神を正しく子弟に>

    ↓

   「教育勅語」(1890年)聖職者






◇問題は「明治近代教育」ではない 小浜逸郎
  
 森有礼の「教師=聖職者」論は戦争の元凶ではない



生き残らせたものは何か
教育が聖なる目的のために行うという教育観自体は少しも衰えずに,もっと別の「す
 ばらしい聖なる目標」のためにこそあるという理念が蘇った

  ∥

  センセイが悪い目的のために奉仕するのは良くないが,良い目的のためにすべてを犠
 牲にして奉仕することはすばらしい


  聖なる目標 = 「お子さま」

    個性豊かな真の人間を育てる教育



  センセイはその社会経済的存在様式からしてまぎれもなく労働者であり,また,その
 労働の実質においてまぎれもなく専門職である。

  |

聖職者規定をいかに現実的に無化させていくか 
- 自己陶酔的な信仰にならない





◇聖者になったわけ 小浜逸郎

 センセイ = 理想的人間 

        魯の人・孔丘・ナザレ人・イエス


弟子が師の言行を
思想 + 生き方 切迫した生の実践者
著作を残さなかったからこそ聖人の高みに


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