So-net無料ブログ作成
読書記録 郷土 ブログトップ
前の2件 | -

(1)『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年  ⑤  (2)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ④ [読書記録 郷土]

昨日は謝って過去の記事を再掲載してしまいましたので、今回は二つ紹介します。
失礼しました。



今回は、12月30日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)5回目の紹介です。



出版社は郷土の本を出し続けている静岡の羽衣出版。

素晴らしい本です。


採話してきた学生さんの苦労を思います。



今回は、「御馬ケ池」「鎌とぎ池」「うばケ池」「三ケ日池」の話です。 

・「御馬ケ池」
- 家康伝説は浜松市の各地にたくさん残されています。
  親しまれていたのでしょうか。
  御馬ケ池跡地近くに篠場瓦窯遺跡があります。


・「鎌とぎ池」
- 秀吉が若い頃、浜松の松下家に仕えたと言われています。松下屋敷跡地が発掘された
 と聞きます。昨年の大河ドラマ「女城主直虎」で井伊直政が預けられたとされた松下家
 です。


・「鎌とぎ池」
- 生き返りの話ですが、こんなことがあったらいいなあとも思います。


・「三ヶ日池」
- 三ヶ日みかんで知られる三ヶ日。
  このようないわれがあったことをこの本で知りました。    


もう一つ 1月9日に続いて北俊夫さんの
「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」4回目の紹介です。


およそ20年前に出版された本です。
平成10年版の学習指導要領が最新だった頃です。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「体験不足」


・「人間関係によるストレス - 人間関係をつくれな」


・「社会変化に主体的に対応できる資質や能力」






<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー









(1)『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年  ⑤

1.jpg

2 池、淵、泉・井戸などの話


(1)御馬ケ池 (浜名郡赤佐付・現浜北市)

 徳川家康が武田勢に追いつめられて、次第に浜松へと退却を始めた。


 浜名郡赤佐村までしりぞくと、ここに大きな池があった。そこで軍馬が疲れ汚れたので
この池で洗った。


 それで御馬ケ池という。           (本田みち)








(2)鎌とぎ池 (浜松市)

 豊臣秀吉が、まだ下僕として浜松在の松下嘉平次の家にいたころ、彼は毎日、草刈りば
かりさせられた。


 あまり毎日なので、面白くないのに耐えかねて、近所の草刈りの子供を呼び集め、刈っ
た草を出し合って掛け、池のメダカを松の葉でつついて、突けたものが草をみんなもらう
事に決めた。


 他の子供は容易には突けなかったが、日吉丸(秀吉)だけはとてもよく突けて、いつも
草をもらって来たということである。


 彼はまた、その池でいつも鎌をといだそうだ。


 それで今、村人は鎌とぎ池と呼んでいるという。


 村人の話によると、そこには片側だけに葉があって他方にはないススキがある。

 それは日吉丸が鎌をといで、そのためし切りにススキをスッーとやってみたので、片方
の葉がみんな取れたススキばかりになり、後の世にもそんなススキばかり生えるのだと教
えてくれた。


 だが行って見ると、そんなものは一本もなかった。なんとかという小さいお宮の西側の、
今にも埋もれてなくなりそうな池がそうだというが、水は緑によどんで、いかにも物寂し
そうであった。


 松下嘉平次という人の屋敷も、今は田となって面影を残していない。この池は浜名郡芳
川村頭陀寺というところにある。                   (金原せつ)







(3)うばケ池 (浜松市)

 浜松市板屋町の停車場のある近所に、昔、大名が住んでいて、そこには大きな池があっ
た。


 そしてその大名の家には一人娘があって乳母がついておった。


 ある時、ふとしたことで、その娘が病気になって亡くなってしまった。


 すると大名は、乳母が悪いから娘が亡くなったんだと、乳母を大変に責めたので、乳母
は主人に申し訳がないと言って、その池に身を投じて死んでしまった。


 すると娘は生きかえって来た。そして乳母が自分のために亡くなった事を聞くと、非常
に気の毒に思ってその池に行って、

「乳母や、私はもう生きているから出て来ておくれ」

と言ったら、乳母は、

「はい」

と言って出て来た、ということである。


 今はその池は残っていない。                   (金原せつ)







(4)三ケ日池 (引佐郡三ケ日町)

 中の郷(三ケ日の古名)の長者は非常に漁る業を好み、池という池は全部漁りつくし、
川崎(郷社神明宮)のお手洗池までもかえると言う位であった。


 そして今度は、川崎の西の大池をかえようと言うので、人夫を数多くを雇って三日三夜
かえた。


 けれども池の水は少しも減らず、かえって反対にいよいよ澄渡るので、さすがの長者も
あきてしまい、ついに思いとどまった。


 それ以後、人々はその長者に仇名して、中の郷の三日池の長者と言い、近郷の者までが、
三日の長者と言うに至った。


 そして次第に地名を三ケ日と言うに至ったという。       (山本ふみ)












(2)「総合的な学習とこれからの学校・授業作り」 北俊夫 光文書院 2000年 ④


◇最近の子どもの生活と学習の様相

(1)子どもはどう変わってきたか

①従来見られなかった子どもの姿
  不登校・自殺・いじめ


②体験不足 
  自然体験,社会体験,生活体験,文化体験



人間形成上大きなゆがみや歪み


③ストレスの問題
人間関係によるストレス - 人間関係をつくれない



人間関係調整能力が不十分



(2)子どもに学力は身に付いているか

  新しい学力観について


  平成9年に
  「小学校は廊下で,中学校は職員室で話題になる程度高校は校門の前で立ち止まって
   いる」



  子どもの思考力・応用力・表現力の課題は認識しているが,指導のための具体的な方
法や技術が理解されていない 






◇「総合的な学習」の時間の趣旨とねらい

 二つの趣旨
①各学校  - 創意工夫を生かした特色ある教育活動

   従来 - 他校を意識した横並び意識
教委の細かな指示・命令  上意下達



新  -  校長のリーダーシップ  校長の主体性と力量 


  ②社会変化に主体的に対応できる資質や能力
集中的に学習できる



  各教科等で身につけたことを総合化する時間


 ねらい
「自らの課題を解決するために求められる,情報の集め方,調べ方,まとめ方,報告や発
 表・討論の仕方などのものの学び方や考え方を身につけること」

nice!(146)  コメント(2) 
共通テーマ:学校

『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 1994年 ④ [読書記録 郷土]

今回は、12月14日に続いて、静岡県女子師範学校郷土研究会編による
『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)4回目の紹介です。



出版社は郷土の本を出し続けている静岡の羽衣出版。


素晴らしい本です。

採話してきた学生さんの苦労はたいへんだったと思います。





今回は、「ぼっこ山」「ダイダラボッチ」「ダイダラ坊子」の話です。 


「ダイダラボッチ」の話は日本各地に伝わっていますね。



子どもたちに話すとなかなかおもしろがってくれます。


「ぼっこ山」の伝わる浜名郡伊佐見村はナウマンゾウの発掘でも知られています。





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>
  ものづくりのまちとも言われる浜松。
 山田卓司さんのすばらしい作品を 
 ザザシティ西館の浜松ジオラマファクトリーで味わえます。
 お近くにお寄りの時は ぜひ お訪ねください。

浜松ジオラマファクトリー








☆『新版 静岡県伝説昔話集』(上巻)静岡県女子師範学校郷土研究会編 ④

1.jpg 1.png

1山男、山婆、巨人、天狗の話 続き

(5)ぼっこ山 (浜名郡伊佐見村・現浜松市)

 伊佐見村伊左地に、ぼっこ田、ぼっこ山という地名がある。


 昔、琵琶湖からボツコ(モッコ)を使って土を運んで富士山を作ったときに、ちょうど
伊左地の所で、そのモッコからひとかたまりの土がこぼれ落ちて、ぼっこ山が出来たとい
う。


 また、引佐郡井伊谷村にもこれと似た伝説がある。


 この地に三合山という山がある。


 昔、ダイダラボッチという、たいそう力のある人が富士山を作ろうとして、琵琶湖の土
をモッコに入れて行く途中、モッコが採れて土がこぼれ落ち、この山が出来たという。

                                  (本多みち)







(5)ダイダラボッチ  (浜名郡神久呂村神ケ谷・現浜松市)

 昔、ダイダラボツチという大男が、近江の土を大きいモッコに入れて駿河まで運ぶ途中、
引佐郡の伊目という所で肩替えをした。


 その時、モッコの採れた拍子にモッコの目から土がこぼれ落ちた。


 その土が根本山だという。


 神ケ谷字原山に、その時大男が通った足跡というのがある。


 数年前まで窪みになっていて雨水がたまっていたが、今は開かれて桑畑となっている。


またそこから半道(半里・約二㌔)東の神にも足跡というのがあったという。


 またダイダラボッチは、浜名湖東岸の宇津山へ腰を掛けて弁当を食った。


 その時、中に小石があったので、箸で湖中に捨てたが、これが島になったという。

                                 (本多みち)







(6)ダイダラ坊子 (引佐郡三ケ日町)

 昔、ダイダラ坊子という人があって、西方から東の方へ行く途中、浜名湖の西北海岸で
弁当を使った。


 そしたら、米の中に石が混じっていたので、その石を投げると、たちまち浜名湖の中に
あるツブテ島になったという。


 そして、その人は東方に下ったが、三ケ日町只木の風越峠のふもとと、その横の峠のす
ぐ下に、ちょうど足の形をした大変大きい池がある。


 それはこの人の足跡だそうである。       
                                  (山本ふみ)


nice!(170)  コメント(4) 
共通テーマ:学校
前の2件 | - 読書記録 郷土 ブログトップ