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「浜松の史跡」浜松史跡調査顕彰会 1976年  ① [読書記録 郷土]

今回は、浜松史跡調査顕彰会の
「浜松の史跡」の紹介 1回目です。




今回は家康のいた頃の浜松について…



現在、浜松城公園には「直虎」の幟がたくさん飾られています。





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☆「浜松の史跡」浜松史跡調査顕彰会 1976年 ①

1.jpg

◇浜松城とその歴史(元城町)
(徳川家康と浜松)

 元亀元(1570)年~天正14(1585)年

 29~45歳までの在城 17年間




◇作左曲輪(松城町)

 本多作左衛門重次に命じてつくらせた曲輪

 中部中学校付近





◇引馬城(元城町)

 東照宮の境内域 
   当時引馬城主・飯尾豊前守


 三善氏 → 大河内氏 → 飯尾氏


 吉良氏  巨海新左衛門尉が築いた





◇御台塚(みだいづか)(元浜町)

 城と運命を共にして討ち死にした豊前守の妻の遺体を葬った塚


 塚(椿屋敷)のあちとには椿観音の小祠


 妻 - 蒲郡一円を支配した豪族の鵜殿氏・藤太郎長将の娘





◇分器橋(早馬町)

 尺貫法の元締めの役所 
   関係役人の小祠





◇秀忠誕生橋(常盤町)

 分器屋敷
   側室の西郷の局 天正7(1579)年4月8日


 長男・信康(築山御前) 

 次男・結城秀康(お万の方の子) 秀忠(西郷局)





◇東照宮と井上延陵の碑(元城町)

 井上延陵が東照宮を勧請 明治17 18年頃社殿造営
 
  - 昭和11年 元城町が譲り受ける





◇安居院庄七領徳碑(元城町)
  
 報徳思想普及 
   安居院庄七 1789年生・相模国の人  

 1847年 下石田報徳社  

 1848年 岡田左平治のところへ

 岡田無息軒の碑も(揮毫・伊藤博文)

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「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ② [読書記録 民俗]

今回は 9月16日に続いて 瀬川清子さん植松明石さんの編による
「日本民俗学のエッセンス」2回目の紹介です。



出版社の案内には、

「本書は、日本民俗学の研究史上、重要な研究者18人をえらんで、その研究と方法を示
 し、それを中心に、日本民俗学の成立、展開の理解にせまろうとしたものである。」


とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「土俗学 = エスノロジー = 未開社会の土俗と同様」


・「日本文化の伝統の見直しと地方への関心
郡誌,町村誌,郷土誌が相次いで出版」





本書を読むと、民俗学が育ってきた道のりが分かります。







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☆「日本民俗学のエッセンス」瀬川清子・植松明石編 ペリカン社 1979年 ②

1.JPG

◇日本民俗学の胎動 植松明石
 
1.土俗研究 

□明治17(1884)年 

 坪井正五郎中心に人類学会「人類学報告」

 土俗学 = エスノロジー = 未開社会の土俗と同様

 渡瀬荘三郎 三宅米吉 出口米吉



□明治26(1893)年 

 鳥居龍蔵,中山笑らにより「土俗会」結成

 新年  贈答の風習  若者組  食制  年中行事
 







2.郷土研究

□明治末年  

 日本文化の伝統の見直しと地方への関心
郡誌,町村誌,郷土誌が相次いで出版


 明治43(1910)年~大正8年末 
「郷土会」新渡戸稲造,柳田国男も
   石黒忠篤(農政),木村修三(農政),正木助次郎(人文地理)
牧口常三郎(人文地理,教育思想家,創価学会創設者)
小野武夫(農政),小田内通敏(人文地理),十時弥(社会)



「郷土研究」「郷土会記録」


    
□柳田国男 

 「後狩詞記」(明治42 1909)

 「石神問答」(明治43 1910)

 「遠野物語」(明治43 1910)

 「時代と農政」(明治43 1910)

  その中心は農政学
    


□大正2(1913)年 ~大正6年3月

 雑誌「郷土研究」 
   柳田国男+高木敏雄(神話学者)

日本の民族文化の究明を目的

柳田国男は20以上のペンネーム

  他に折口信夫,中山太郎,早川孝太郎

南方熊楠との論争




□明治45(1912)年 

 石橋臥波「日本民俗学会」坪井,三宅,白鳥と

大正2(1913)年 機関誌「民俗」~大正4年




□大正7(1918)年

 折口信夫「土俗と伝説」 ~1919


 喜田貞吉「民族と歴史」 ~1923末 → 「歴史地理」に


 アチックミューゼアムの動きも注目
大正10(1921)年 渋沢敬三 物質を通しての文化研究を提唱
 






3.日本民俗学の胎動

□大正14(1925)年

「民族」 
   ナショナルなエスノロジー 個別的文化研究
↑↓
南方熊楠 共通普遍の原理を求める
    

○折口信夫

 民俗学を独立の学問とは認めず,古代文化究明のための一つの方法と考えている 


○柳田国男  

 自身の直接の観察に重きを置く

 → 現実に存在する伝承資料の記録 = 共通解釈の場




□大正14(1925)年11月 

 雑誌「民族」発刊 
  柳田国男,石田幹之助,田辺寿利、奥平武彦,有賀喜左右衛門,岡正雄


 日本民族の過去の生活の究明 
  学問の経世済民

~昭和4(1929)年 4巻3号で休刊



 「民俗学談話会」 - 雑誌「民俗学」





□昭和10(1935)年 「民族学研究」


 関連雑誌 
  「民俗芸術」昭和3年  

  「旅と伝説」昭和3年 

  「郷土」昭和5年

  「方言」昭和6年  

  「社会経済史学」昭和6年

  「ドルメン」昭和7年  

  「嶋」昭和8年


 論文等  
   折口信夫「古代研究」S4 

   中山太郎「日本民俗学」S5,6

   柳田国男「聟入考」S4 「蝸牛考」S4 

   早川孝太郎「花祭り」S5
  


柳田国男「郷土生活の研究法」S10 「民間伝承論」S8


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