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「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 ② 1990年 [読書記録 教育]

今回は 荒巻正六さんによる
「学校文化 その源流と課題」紹介の第2回目(2/4)です

第2回目は
◇野外における子どもの行動特性 -遠足引率者の心得-
◇運動会と地域社会
◇修学旅行と旅の思想
について

今回紹介分からは…
「戦後の運動会=地域のお祭り PTAも売店,校門前に露店」
・確かにお祭りのようなうきうき感があります
「雀の巣立ち(150ヤード競争)ボラの網越し(走り高跳び)」
・現代の運動会でも種目の命名には工夫がされています
・唐沢富太郎さんの本は大変楽しめます
「修学旅行と旅の思想」
・修学旅行に思想が隠されているとは…


昨日 学年園にようやく野菜の苗を植えることができました
子どもたちの期待に満ちた顔
大きくたくさん実がなるといいのですが…






☆「学校文化 その源流と課題」荒巻正六 福武書店 ② 1990年

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◇野外における子どもの行動特性 -遠足引率者の心得-
○野外行動特性 
 志向・接近・探索
掘る・積む・崩す・跳ぶ・走る・滑る・触れる・叩く・のぞく・探る
大声を出す → これらの行動を繰り返して夢中になる

○ディズモンド・モリス『裸のサル』(日高敏隆訳)
探索行動-摂食と自己防衛
生き続け生き残るための探索行動

 

◇運動会と地域社会
○戦前の運動会=地域のお祭り
戦後の運動会=地域のお祭り PTAも売店,校門前に露店

平日実施が多くなった
しかし,寂しいものになってしまった
運動会に華やいだ祭りの気分を今こそ導入すべき

○ボルノウ『教育を支えるもの』
「社会生活全般にとって,最も重要なものは,人間と人間との,より深い共同     
 感の経験である。これは祭りの中で内的必然性を持って完成される。そして     
 人は祭りを期待して平日を過ごし,祭りによって元気を取り戻し再び平日に     
 立ち返っていく」

楽しく生き生きとした学校づくりを言うならば,地域の祭りとしての学校運動
会を子どものために用意すべき

○日本最初の運動会 『明治百年の児童史』唐沢富太郎著
明治7年 海軍兵学校(東京築地)「競闘遊技会」
種目:雀の巣立ち(150ヤード競争)ボラの網越し(走り高跳び)


◇修学旅行と旅の思想
○巡礼・長途遠足・海外観光旅行
芭蕉「月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なり」

西行「願わくば花のもとにて春死なむその如月の望月のころ」

○修学旅行の始まり
明治19年2月 東京師範学校 「長途遠足」
11泊12日千葉銚子方面 行軍方式

特徴 ①行軍方式(フランス式体操の影響) 
    ②巡礼の思想
ヨーロッパ直観教育の思想

 校長 高嶺秀夫
「路上至る処に便宜を求めて諸学科を実施に研究せしめんとするにあり」

自己を見つめる機会に

「善の循環をつくり出す」 イエローハット相談役(当時) 鍵山秀三郎 『致知』2004.3 [読書記録 一般]

今回は 雑誌「致知」より
鍵山秀三郎さんの「善の循環をつくり出す」を紹介します

鍵山秀三郎さん 
自動車用品のイエローハット創業者であり
日本を美しくする会の相談役として知られます
雑誌「致知」にはよく文を書かれています
非常に納得することが多く
大変勉強になります









☆「善の循環をつくり出す」 イエローハット相談役(当時) 鍵山秀三郎 『致知』2004.3

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◇便利さの弊害

 産業革命以来の科学技術の目覚ましい発達により、日常生活はどんどん便利
で快適になってまいりました。
 これによって私たちはいま、それほど努力をしなくてもたいていのものは手
に入れられるようになりました。

 しかし、このことは、半面で大きな弊害をもたらしていることを私は痛感し
ています。日には見えず、計算したり数値で表したりすることができない大切
なものを失っているのです。 

 かつて私たちは、自分の望むものを手に入れるためには、相当な努力や歳月
を積み重ねなければなりませんでした。

 例えばいまは、寒くなればたいていの人がそれほど躊躇なくコートを買いま
すが、昔はコートを買うというのは大変なことでした。
 スーツ一着、、靴一足にしても同様で、そのため長く辛抱して倹約をし、計
画的にお金を貯めてようやく買えるというのが普通でした。

 また、昔の農業では田畑を耕す機会がなかったために牛や馬を使っていまし
たが、その扱い方を身につけるのは大変なことで、やはり相当な時間や努力が
必要だったのです。

 そうした時間や辛抱は無駄であったかといえば、決してそんなことはありま
せんでした。

 骨を折って技術を修得したり、貴重なものを手に入れる大きな喜びがありま
した。そして、その喜びは、生涯の思い出として残るほどのものでした。

 人間はその過程で知らず知らずのうちに、規律や自制心を身につけていった
のです。
 わざわざ法律や憲法で定めたものではなく、人々の間に自然に培われ、共有
された暗黙の規則や規範、秩序によって、社会は健全な状態を保っていました。

 ところが、生活が便利になり、時間も節約でき、労働も軽減されるにつれて、
人々の間に共有されていた暗黙の秩序が失われていったのです。
 与えられれば与えられるほど欲望が膨らんでいき、与えられるものよりも欲
望のほうが常に先行するようになりました。そうなると、どれだけ与えられて
も心が満たされることはありません。

 そのためいまの人は、何が正しくて何が悪いのか、何が正統な願いで何が度
を越した欲望であるのかも区別できなくなってきているのです。

 各人がこれだけ豊かな生活を享受しながら、日本経済に未だ不況感がぬぐい
きれないのも、このことと決して無関係ではないと思います。
 いまの精神構造を改めない限り、日本人は決して幸せになることはできず、
国家もよくなることはないと私は考えています。


◇小さな実践を積み重ねていく

 こうした視点でいまの日本人を見てみますと、昔と比べてずいぶん忍耐力に
乏しくなってきているのを感じます。

 例えば部屋の温度一つをとってみても、冬は20度、夏は28度にもなれば
我慢ができず、極端な温度設定で常時エアコンスイッチが入っています。
 我慢できる時間の限界もものすごく短くなっており、少し待たされただけで
腹を立てます。
 例えば、新幹線がたった30分遅れるというだけでもう怒り出す人がいます。
台風や地震などやむを得ない事情で止まってしまった時も、対応に追われて忙
しい駅員さんをつかまえ、
「どうしてくれるんだ」
と掴みかかるような人が何人も出てきます。
 そのために駅員さんは、正当な職務すら遂行できなくなり、さらに遅れの原
因となるのです。

 このように、あらゆることに対して許容範囲が狭くなり、自分の尺度から少
しでも外れると我慢できないような、忍耐力の乏しい人、他人への思いやりの
欠如した人が増えていることに、私は非常に危機感を覚えます。こうした悪循
環を絶って、善の循環に変えていこうとする人たちが出てこない限り、決して
日本がよくなることはないと私は思います。

 こうすべきだという理想と、現実に自分がとっている行動との間に、いまど
のくらい差があるでしょうか。
 社会が悪い、国が悪いと口先で繰り返すばかりで、行動が伴わない人が多く
なるほど、国家が悪くなり、社会が悪くなり、住み心地が悪くなっていくので
す。

 あるいは、国が、誰かが何とかしてくれるという他者依存も問題です。
 一人ひとりが自分の心の中に、自立というものをしっかりと打ち立てていけ
ば、周囲の事情に振り回されて困ることは何一つないと思います。

 そういうことに少しでも気づいた人は、日々の生活の中で善の循環をつくり
出すことを、ぜひともきょうから実践していただきたいのです。例えば、電車
に乗る時に先を争って席を取ろうとするのをやめ、自分は立っても構わないか
ら人に譲る、といった行為。
 また、赤信号で車を停止する時、前の車との間に道路が見えるくらいの間隔
を開けるとか、車線を変更しようとしている車を見たら、自分の前に入れてあ
げるという、一見些細に見えることに気をつけていくだけで、世の中はよくな
ると確信します。

 反対に、些細なことに気遣いをしなくなる度に、社会は乱れていくと思いま
す。
 たとえ歩みは遅々としていても、毎日の自分の生き方を振り返りつつ、希望
を失わずに努力を積み重ねていくことが大事だと私は思うのです。