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「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ① [読書記録 一般]

「宮本さんは地面を空気のように動きながら歩いて歩き去りました。日本人の山河をこの
 人ほど確かな目で見た人は少ないと思います」





新年、二日目。
年末年始は年中行事が多いと感じます。
わたしがブログをはじめてからでも、地域から失われつつある年中行事が多いと感じます。

名著と呼ばれる宮本常一さんの「忘れられた日本人」。
お正月に、もう一度読みます。

今回は、木村哲也さんの
「忘れられた日本人の舞台を旅する」の紹介 1回目です。


木村さんは、出版当時「周防大島文化交流センター」の学芸員として、
宮本の魅力を伝える仕事をされていました。





出版社の案内には、


「日本各地、文字通りの津々浦々を歩きに歩いた宮本の金字塔『忘れられた日本人』。そ
 の舞台一〇箇所を、二度三度ていねいにたどり直し、宮本が会った人、その縁者に取材
 し続けた、宮本民俗学を今につなぐ若き民俗学徒が脚で拓いた、新たなフィールドの紀
 行。」


とあります。


大変おもしろく読みました。
現在、古本でも高値が付けられているようです。


今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「父が伝えた十箇条の心得」
- このような言葉を伝えられる父親でありたいと思わせてくれる言葉です。


・「学者になるな - 資料の発掘者に」
- 常に現場を、実践をということでしょうか。


・「篤農家の消えた後で」
- わたしの近所にもそう呼ばれるにふさわしい方が何人もいらっしゃったのですが、世
 代が変わりつつあります。
  代わって地域で目立つのは、会社組織、NPO法人。「篤農家」から、「事業家」の
 時代になっています。



近付く定年。定年後、小さな農業をやりたいと思っています。





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☆「忘れられた日本人の舞台を旅する」木村哲也 河出書房新社 2006年 ①

1.jpg

◇はじめに

 宮本常一 1907-1981



「図書」1985.5 No.454

 ◎「わたしの3冊」の中に司馬遼太郎が「忘れられた日本人」

「宮本さんは地面を空気のように動きながら歩いて歩き去りました。日本人の山河をこの
 人ほど確かな目で見た人は少ないと思います」







◇ふるさとの島より 「わたしの祖父」「世間師(1)」

 島へ渡る 
   東和町長崎 1993.5.1~5.4



 出稼ぎと移民の島
増田伊太郎(外祖父)の宮本市五郎 
     放浪性 世間師 
本名は升田仁太郎



 御一新の後先



 旅を誘う白木山 
   篤農家-父・善十郎 
   父が伝えた十箇条の心得
   善根宿







◇世間師に会いに行く 「世間師(2)」河内長野市 滝畑の旅
  
 河内高向村滝畑 
   左近熊田翁 

   孫・左近又三郎(1915生)ダム反対
  


 宮本常一の大阪時代(教員として=ハマコウ註)
   修斉尋常小学校
   田尻小学校
   北池田小学校
   養徳小学校
   取石小学校 (「とろし」1935-教え子達と郷土誌を作成=ハマコウ註) 

  
現代の世間師 1996.3.20







◇文字をもつということ「文字を持つ伝承者(1)」 島根県邑育郡瑞穂町(現邑南町の旅)
 学者になるな - 資料の発掘者に
田中梅治翁 1939.11
   
   1994.10.12森脇太一 1996.3.26牛尾三千夫
  


 理想の篤農家像 
   孫の田中勘助さん(1923生)



 ダンボール箱の文書 
  「粒々辛苦」の舞台裏



 田中の親友は栗山一夫(赤松啓介)
 






◇篤農家の消えた後で 「文字を持つ伝承者(2)」 福島県いわき市神谷の旅
  
 日本文化の東と西 1994.11.12 



 在野の民族研究の先学 
   高木誠一 2万冊の本 篤農家



 オシラサマ
   高木秀夫さん

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