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(1)「生きることのレッスン」竹内敏晴 トランスビュー 2007年 (2)「子供に広場を」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑦)【再掲載】 [読書記録 一般]

今回は、竹内敏晴さんの
「生きることのレッスン」を紹介します。



出版社の案内には、


「過度な絶望にも、過剰な希望にも惑わされず、『負けたこと』に負けない。自分自身の
 言葉を発し、いのちを充溢させるための竹内レッスンの思索の軌跡と実践の現場。」


とあります。





今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「体験をどうことばにするか」


・「『負けたこと』に負けない」


・「からだの後ろ半分は全く忘れられている」


・「日本語を発するレッスン 『息合わせ』」




もう一つ、再掲載(2014年2月)となりますが、
宮本常一さんの「子供に広場を」を紹介します。
このごろは、道路で遊ぶ子供さえ見掛けなくなってしまっています。





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(1)「生きることのレッスン」竹内敏晴 トランスビュー 2007年

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◇ことばとからだに出会うまで

 この人は「ことばがない」のだ   
   聴覚障害と失語症  
   一高という場


 
 世界の二重性  
   二度目の失語体験 
   魯迅の姿勢



 体験をどうことばにするか  
   ガラスの壁が吹っ飛ぶ






◇「八月の視祭」を巡って
  
 目標は持たない  
   パフォーマンスのコラージュ 
   クラウンの法則 



「負けたこと」に負けない






◇いのちを築くレッスン

 からだに目覚める仕組み  
   からだによるドクサの吟味
  


 野口体操との出会いと別れ 
   からだのつぶやきに耳を澄ます
  


 面従腹背の教育の源  
   崩壊に向かう青年たちのからだ 



「あなたたちは『前人間』だなあ」
前半分しかないからだ
   ~ からだの後ろ半分は全く忘れられている



 日本語を発するレッスン
「息合わせ」










(2)「子供に広場を」(宮本常一『見聞巷談』八坂書房 2013年より⑦)【再掲載】



 文明が急速にすすんでいくと、これまで古い生活との間にいろいろの違和をおこす。

 そうした違和の中でも大きな被害をうけているのは子供の世界ではないかと思う。



 昭和30年頃まで田舎を歩いているとどの村にも子供が道にあふれて遊んでいた。

 もとは道路は子供の最もよい遊び場であった。子供たちだけでなく、われわれにとっ
ても、ぶらぶら歩くことのできる世界であった。

 それが急に自動車がふえはじめたのが、昭和35年頃からで、道は子供の遊び場ではな
くなってしまった。

 日本の町や村には広場というものがほとんどない。せいぜいお宮の森くらいであるが、
それも年々せばめられてきた。まして都会の場合はその遊び場がほとんどなくなってし
まっている。

 それは道で遊んでいる子供をほとんど見かけないことによって察せられる。


 それでは子供はどこへいったのだろうか。

 家の中でテレビを見て時をすごしている子供が意外なほど多い。
 そうでなければ塾通いが多いようだが、塾通いは中学へいくようになってからであろ
うから、小学生の間は自分の家だけが自分の世界ということになる。

 子供仲間が集まって広いところで遊ぶことによって社会的な秩序や法則や交友のあり
方などについて学び、ひいては社会的連帯感も生まれてくるのであるが、今そうした機
会を持つことはきわめて稀になってきたのではないかと思う。


 いずれにしても、はつらつとしているべきはずの子供たちをよく家の中へ閉じこめて
しまったと思う。子供自身、休みの日でも外へあまり遊びに出たがらない。たまに出る
とすれば親たちについて出ていく。これは百貨店などへいくものが多いようで、電車の
中には必ずといってよいほど親子が幾組か乗っている。
 それはそれなりにこのましいと思うのだが、親子のつながりだけが強くなっていくと
いうのは、どうも異常な感じがする。


 親が眼をはなしていても、子供たちは子供たちの世界を持ってお互いの交流によって
成長していくような場は作れないものであろうか。


 機械文明というものはどうしても人間を片隅に押しやってしまうか、または人間を機
械の意思に従わせてしまうような傾向を持つ。

 これを駆使するものは愉快であり、また自由をほこりたい気持ちになる。

 舗装された道をフルスピードで走っていくのは、その人にとっては大きな喜びであろ
う。しかし、そのために自分たちの生きる世界を狭くしている者も多いのであるが、わ
けても子供の世界を狭くしたり、ゆがめたりするようなことはできるだけ、さけるよう
にしたいものである。



 文明は人間のためのものであり、さらにそれもわれわれだけでなく、これから後に育
ってくる人たちのために、より大きく貢献しなければならないと思うからである。

 道が交通路としてのみ利用されるようになると、それによって失われた子供たちの育
つ広場の確保が、これから重要な問題になってくるのではなかろうか。


 車に乗ることもいい、しかし歩くこともいい。ある高校で話をたのまれたとき、町を
めぐる周囲の山々を登ったことがあるかと聞いたら、ほんの少数が手をあげた。幼少の
生活のあり方から大切なものを失いはじめているのではないかと思った。

(「運転管理」173号、モビリティ文化出版、昭和55年2月)


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