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草柳大蔵さんはこんなことを⑮ [読書記録 一般]

今回は、9月12日に続いて、わたしの読書ノートから、
「草柳大蔵さんはこんなことを」15回目の紹介です。





今回も、「知っていますか男の偏差値」(大和書房)からの紹介です。



出版社の案内には、

「貴女の男性理解はたしかですか。惚れ惚れするような男から、うんざりする男まで。現
 代の男性を解像する草柳大蔵の『女性のための男性論』。」



とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「『いやな女だな』ではなく『了見の狭い人だな』」


・「生涯をていねいに歩く」


・「人生の三枚目になることの良さ」


・「人生の二枚目には不器用な人が多い」






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☆草柳大蔵さんはこんなことを⑮

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☆「知っていますか男の偏差値」草柳大蔵 大和書房(10)

◇「女なんて」という男

□男の身勝手からくる要求



□「いやな女だな」ではなく「了見の狭い人だな」

 理屈と常識 
  - 世の中は常識で動いている



□「男」「女」という単純なモノサシでは駄目
   
 人間の資質で見たらどうだろうか


 評価の条件(女性)
  ①気だて 

   ②能力 

   ③責任感 

   ④バランス感覚 

   ⑤身だしなみ(ヤンス)


 2段階
男なんて女なんて 

    → 言う人と言わない人








<希少価値の男たち>

◇地味な男

□「生涯をていねいに歩く」

 陰徳-ごみ「私捨てる人」-「あなた拾う人」と職能分解



「誇りはもって仕事をし、生きている人はその時その時に大きな喜びに包まれながら仕事
 をしている。その人は、仕事をぞんざいにすることがないように、生涯を丁寧に歩いて
 いく人である」(串田孫一)



□派手好みの人が実は寂しがり屋



□地味と概念を考える 草野心平

 地味に生きる目を入るものがない
派手に生きようとする人には何も見えない
地味に生きている人には地味にしつらえられたものがしっかりと目に入る







◇不器用な男

□「自分を守る」という演技のできない男

 山田太一「路上のボールペン」
      人生の三枚目になることの良さ
 
       |

 自分の役割以外なのに他人の難渋を見るに忍びず自分もズブ濡れになって手伝う男がい
る。不器用なんです、生き方が。



□頭と身体の忙しさで分ける四種類の人間

 忙しい = 心をうしなっている状態 忙しいとロクなことがない


 四種類の人間論
①頭も身体も忙しい人 自分で企画したことを自分で実行する人

②頭は忙しいが身体はヒマな人

③頭はヒマだが身体だけ忙しい人

④頭も身体も両方ヒマな人



□生き方ばかり器用な人って胡散臭い

 平林たい子 
   「かんなくずに火がついたようにしゃべる男」


 人生の二枚目には不器用な人が多い


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(1)草柳大蔵さんはこんなことを⑭ (2)「人間らしいかしこさとは(1)」八ツ塚実(『思春期の心を開く力』 朱鷺書房 1990年より)【再々掲載】 [読書記録 一般]

「嫉妬は常に正義のふりをして表れる」 山本夏彦



先月、20年以上前に担任していた子から残暑見舞いが届きました。
自分のことだけでなく友達への担任の言動に納得できないことがあると、
はっきり言うことができる、自分をしっかりもった女の子でした。
大学、大学院で心理学を学び、公務員として活躍していたのですが、
この春から大学の教員になったとなったとの報せでした。
自分の強い思いがあってのことだろうと感じています。
この報せを受けて、八ッ塚実さんの「人間らしいかしこさとは」を思い出しました。
「草柳大蔵さんはこんなことを」とともに、再々掲載となるのですが、載せます。
彼女の活躍を願っています。







今回は、9月 9日に続いて、わたしの読書ノートから、
「草柳大蔵さんはこんなことを」14回目の紹介です。




今回も、大和書房から出された「知っていますか男の偏差値」からの紹介です。



出版社の案内には、

「貴女の男性理解はたしかですか。惚れ惚れするような男から、うんざりする男まで。現
 代の男性を解像する草柳大蔵の『女性のための男性論』。」



とあります。



今回紹介分から強く印象に残った言葉は…

・「無神経に対して日本社会が寛容になった」


・「嫉妬は男にとって弱さ、女にとって強さ」


・「人それぞれ『今お話しして良いですか?』」





<浜松の新名所 浜松ジオラマファクトリー!>

  ものづくりのまちとも言われる浜松。
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(1)草柳大蔵さんはこんなことを⑭

☆「知っていますか男の偏差値」草柳大蔵 大和書房(9)

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◇無神経な男

□言葉を選ばない人、十把一絡げの言い方をする人

 無神経に対して日本社会が寛容になった

- あまりに無神経な言葉や動作が多いので腹を立てるより見て見ぬふりをした方が
   よいという処世観ができた



□自分の都合を押しつける本人主義

 公徳心 → 本人主義



□無神経な男は不作法な男

 TPOをわきまえない 

 人それぞれ「今お話しして良いですか?」






◇嫉妬する男

□正義という名の嫉妬心

 山本夏彦
  「嫉妬は常に正義のふりをして表れる」



えこひいきという不平等はけしからんと言う「正義」 → 自己正当化



□エリート意識が強いと嫉妬心も強くなる



□「自分自身と競争する」生き方もある 菊池寛
 
 「嫉妬は男にとって弱さ、女にとって強さ」 






◇おしゃれな男

□女性主導の男のおしゃれ

 おしゃれな男 
   平敦盛 一の谷の合戦熊谷直実に首をはねられた

髪の毛から香の匂い


   60年代 石津謙介 アイビールック


   70年代 プレッピー・スタイル


   80年代 女性主導型



□「男のおしゃれ」の行きすぎは嫌われる
    
 ブランド婦人に主体性は感じられない



□おしゃれな男のストーリー









(2)「人間らしいかしこさとは(1)」八ツ塚実(『思春期の心を開く力』 朱鷺書房 1990年より)【再々掲載】

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◇「学力」って何


 先生 せんせい センセイ

 今ごろの世の中

 みんな学力学力っていうでしょう

 あのイヤラシイ学力って

 一体 何のこと?

 わかりやすく説明して下さい

 まさか テストの点数じゃないですよね

 先生

 ずっと前 こういったでしょう

「学力とは力だ

 学ぶ力だ

 力とは 何かをするもとになる

 エネルギーだ              

 簡単に数字にすることができるか!」

 うちの教育ママゴンなどは

 完全にテストの点数だと思っていますよ                                  




 私は、この詩を「きいてください、心のうちを」という冊子に使った。


 中学2年生の女の子が、「生活の記録」に書いていたものだ。


「学力」とは、読んで字のごとし、「学ぶ力」である。好奇心、探求心に供えて、学習し
ていくエネルギーだ。


 このエネルギーの量が、人によってちがうというなら、それでもいい。だからといって、
それぞれのちがうエネルギー量を、どうやって数字にしようというのか。


 好奇心、探求心の向かうところは、人によってみなちがう。


 得意、不得意の分野も、人によってみなちがう。


 現在、テストでの得点が、「学力」として使われているのは、他に方法がないから、仕
方なく利用しているだけなのだ。



 ・学力は学ぶ力だ。

 ・学ぶ力があるなら、たくさん学んでいるはずだ。

 ・たくさん学んでいるなら、知識も多くなり、問題を解く力もついているはずだ。

 ・ということになれば、問題を解かしてみて、よく解く者は、「学力がある」と判断し
  てもよいはずだ。

 ・点という数値にするには、現在のところこの方法しかない。

 ・この「数値」を「学力」 の代用として利用しよう。



 現在、学力として扱われている数値は、従って学力そのものではないのである。代用で
ある以上、あくまでも代用なのだ。これを唯一絶対の判別資料に使うことには、無理があ
る。一番囲ったことは、偏った、限られた教科だけが数字にされていることである。


 しかし、実際には、それが学力そのものとして使われ、人物判断の資料として使われて
いる。たしかに、真の学力によって獲得した点数もある。そんな点の取り方をする子もい
る。


 一方、点数だけなら、学力はなくても、取れる。混入する「学力とは無縁の点数」。現
在、エスカレートを続ける点取り競争は,後者に属すと言えよう。点数取りの広い範囲を
占めるものに「点取り技術」「点取り訓練」があるからだ。




◇人間性の裏づけこそ

 私は、「学力」の中には、「人間性」も含まれると考えている。そのことを考えさせる一
つの実例を紹介したい。


 A君、B君という二人の秀才がいた。この二人は、いずれ劣らぬ実力の持ち主で、得点
は、どの教科も完璧なものだった。現在の学力測定法でいえば、大変な学力の持ち主とい
える。


 高校進学は、二人とも全国でも有数の進学校に受験し合格した。


 合格発表のあった日、A君は学校にやってきた。自分の担任をはじめとして、全教員に
お礼のあいさつをして回った。「先生のおかげです」と、見事な礼儀正しさだった。


 特に私が胸をうたれたのは、校務員の小父さんや、事務・養護の先生のところへも、忘
れずに行ったことだ。お父さんかお母さんかが、そのようにするように言われたのかもし
れない。黙っていると、普通の中学生は、忘れてしまう。


 A君は、担任に申し出て、ただちに第二・第三志望高校の受験手続きを取り下げた。自
分の受験で、人に迷惑をかけたくないという考えからだ。



 B君も同じ超難関高校に合格した。合格発表以来、学校へ来ないばかりか、担任へも何
の連絡もなかったという。


 ところが驚いたことに、B君は、行くつもりもない第二・宗三志望校に受験したという
情報を担任はつかんだ。当然、彼の力なら合格だ。


 行く必要のなくなった学校に受験する人は少ない。


 せっかく手続きしているんだからというのであれば、合格通知を受け取っても、すぐに
辞退届けを出すのが礼儀というものだ。


 ところが、B君は、入学手続きをしないばかりか、辞退届けも出さない。こういうこと
をされると、高校側は因る。繰り上げ補欠入学者が決められないからだ。


 高校からB君の担任に村して、矢の催促である。入学しないのなら早く正式な辞退届け
を出してほしいのだ。本人を説得してほしいというわけだ。


 B君の担任は、大あわてで説得した。ところがB君の返事は「ノー」の一点張り。どう
してそんなことをするのかという担任の質問に、B君は冷ややかに答えたという。



「オレは、困らしてやるんだ。なるほど、オレが辞退すれば補欠のヤツは繰り上げ合格し
 て喜ぶだろう。だからオレは、それを一日伸ばしに伸ばしてやるんだ」



 不特定の人間に対する、この憎しみは何なんだろう。縁もゆかりもない人を苦しめて、
喜ぶ感覚を、私は理解できなかったし、許せないと思った。



 秀才と呼ばれる人間の持つ、もう一つの顔なのだ。おそらくB君は、教科の点数が抜群であるということで、幼い日から、周囲からかしずかれて育っていたのだろう。点数への
極端な関心が、重大なことを一つ見落とさせてしまったのだ。


 気がついたら、まるで自分が帝王であるかのような意識が、少年の心を占めてしまって
いた。




 私は、学力のことを考えるとき、いつもこのエピソードを思い出す。


 B君は、最後まで自説を曲げなかったと聞いている。結局、二人ほどの補欠入学者を、
数日間ヤキモキさせただけなのに。


 彼のやったことは、周囲の人間がとやかく言うことはできまい。彼が彼の実力で、彼の
考えに従ってやったことだから。


 だが、私は今、彼の周辺に存在する問題点が気がかりだ。

 ・そのとき、親はどうしていたのだろう。

 ・担任には、指導力はなかったのか。



 話をA君にもどそう。

 A君は、私が顧問をしていたクラブ(自然観察クラブ)に入っていたので、人柄はよく
知っていた。大変な秀才であると同時に、人間的にも魅力があり、常にリーダーとして尊
敬を受けていた。好奇心と探求心のかたまりで、「学ぶ力」ということになれば、右に出
る者はいなかった。


 進んで学級活動・生徒合活動・クラブ活動に参加し、人のために働くことを喜びとする
ような中学生だった。


 A君は、科学者になった。その科学者に、かつて私が理科を教えていたのだと思うと、
少々恥ずかしくなる。


 そんな彼に、私は一度たずねたことがある。帰郷の折、訪ねてくれたときに。


「君の勉強好きは、今でも印象深くて忘れられない。あれは生まれつきですか」


「いえいえ、とんでもない。ぼくは、小学校の低学年の頃は、遊んでばかりいて、成績だ
 って良くなかったですよ」


「へえ、意外なこともあるんだなあ。ちょっと信じられない。だって、君の場合、人から
 教えてもらって身につけるというより、自分から進んで調べぬくというところがあった
 からなあ。当時から、本物の学習者だったよ」


「ぼくの場合、エンジンは、小学校の後半にやっとかかったんです。結構な野生児で、友
 達と面白くやりました。塾とか家庭教師とかいわない時代だったし」


「そんな中から、本格約な学力を具えた学習者が生まれる原因を知りたいもんだね」



 こんな話をしながら、私と彼は酒をくみ交わした。


 小学校・中学校で勉強法などを、いろいろ話してくれて、彼は任地へ帰って行った。





◇攻撃的な勉強のすすめ

 それから一カ月ほどして、A君は手紙をくれた。二人で話したことを、文章で整理して
くれたのだ。その後思い出したことなども交えて。



 帰省の際には、お世話になりました。あの時の話題は、主として、私の小中学校時代の
勉強法のことでした。不十分だったことや、その後思い出したことも加えて、あらためて
書いてみます。


 幼少年時代のさまざまな体験の中で、きわ立ってその後の私の研究生活に役に立ってい
ることが二つあります。


 その一つは、友だちと力を合わせ、工夫して作ったゲーム盤で遊んだことです。

 現在の子どもたちの周辺にあるものと比べれば、幼稚極まるものでした。それでも、


 ・自分たちでルールを作る。
 
 ・行きづまったら、解決策を考える。
 
 ・何度もやってみる。
 
 ・予想をたてて、確かめる。


 このような、探求の原則を体験できたのです。


 テレビも無ければ塾もなく、知識を他動的に受けとめなかったことは、幸いでした。


 小学校時代、宿題以外は家に帰ってやったことはありません。しかし、自分の頭で考え
る遊びだけは、よくやっていました。


 二つ目は、図書館通いの習慣が身についたことです。このきっかけは、小学校5年生の
夏休みのときでした。

 歴史の宿題が出ました。大変簡単なテーマだったのですが、野生児のようによく遊んで
いた私には大変でした。

「天保」とか「享和」とかいった年号を表にするものでした。年表を調べれば何でもない
ことだったのですが、そのような年表のあることを誰からも教えてもらえませんでした。

 そこで図書館へ行き、歴史の本を見せてもらって作ることにしました。後で考えると、
これが「運がよかった」のでしょう、歴史読み物を貸して下さったのです。小学生向けの
物語を、かたっぱしから読んで、文章の中に出てきた年号を並べました。


 9月のはじめ、クラスの人の作った見事な年表を見てびっくりしました。


 その時、年表というものがあり、みんなはそれを写したことを知ってガッカリしました。


 しかし、この時からです。私がわからないことは自分の力で調べるということをやり始
めたのは。図書舘に調べに行く楽しみも知りました。読書の楽しみも、期せずして知るこ
とができました。


 勉強とは、こんなに面白いものかと、はじめて体験しました。


 学校で習うより早く、塾で習って、成績が良くなったという母親たちの言葉を聞くにつ
け、子どもたちに「自ら学ぼうという姿勢があるのかどうか」と疑問に思います。


 知識は量だけではなく、「如何に獲得したか」という、その過程が大切なのではないで
しょうか。


 そのために、先生が「教室詞集」の中で述べられているように、「受け身ではなく、攻
撃的な勉強のすすめ」こそが、今の子どもたちに必要なことと考えられます。

   (後略)





◇学びのエネルギー

 この手紙は、まだまだ続く。紹介は、この程度にしておきたい。          


 お読みいただいたように、A君は、勉強というもの全てを、自分の好奇心・探求心でや
ってきたし、今もその延長線上で学術研究にはげんでいる。この手紙は、具体的な「学力
論」なのだ。


 自学自習が究極の目的であるなら、人間は遅かれ早かれ、「他者による教育」の状態か
ら脱皮しなくてはならない。       


 教育の成果は、
  ・どれだけ早く

  ・どれだけ確実に


 自学自習の態勢に入れたかなのだ。ところが現在の風潮は、

  ・どれだけ手厚く面倒をみるか

  ・どれだけ、いつまでもかかわるか

  ・どれだけ手助けで得点を上げさせるか


ということに集中している。自学自習の力を身につけさせるという、本来の目的とは程遠
い営みが続けられている。


 この自学自習の力こそ、学力にほかならない。他者による「手助け教育」は、できるだ
け早く終わらなくてはならないものなのだ。


 手助けの長い方が良いという考えは、人間無視の営利の思想にほかならない。


 簡単な例で恐縮だが、大人になってまで家庭教師の世話になるわけにはいかないのだ。

 手助けなしで自学自習できる力をつけることこそ、教育の目的なのだ。

「学力をつける」とは、本来、そういうことなのだ。  



 話を、もう二度A君にもどそう。                    

 A君は、小学生の夏の日、自作の年表を喜び勇んで学校へ持って行った。ところが、級
友の作品は見事だった。見事なはずだ、それらは出来あいの作品を写したものだから。


 一瞬たじろいだA君に、学級担任はこう言ったという。


「A君の年表は素晴らしいものです。先生は、自分で調べて作ってくるように言ったはず
 です。年表をそのまま写してきなさいとは言っていません」


 ここでもし、模写の作品がほめられて、A君のように本当の手作りの年表が軽んじられ
ていたら、A君はどうなっていただろう。


 点数で評定できる学力以上に、人間の生き方の内部にある測定不能の学力に、その担任
は着目していたのだと思う。


 A君が、「その後の私の研究生活に役立っている」という資質が、少年時代の「つたな
くても自分の力でやる学習」だったといっている点に、私たちは深く学ばなくてはならな
い。


 A君は、おごるということを知らなかった。どんなに自分が有能でも、それを振りまわ
して自慢することはなかった。悪たれ少年たちが、常にとりまいていた。自分だって、勉
強が得意でなかった時期がある。


 学習とは、一人ひとりが、自分の道を歩んでいくことで、人がとやかくいうことではな
い。少年の日から、彼はのような考えをつかんでいたのだ。


 学力とは「学びのエネルギー」である。学びの対象に敬意を払いつつ、探求していく力
だ。

 その結果、得たものは、人に村してひけらかしたり、優位をちらつかせたりする性質の
ものではない。それがわかることも、学力を構成する要件の一つである。




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